辻薬師堂

大町四ツ角のすぐ南にある御堂。聖武天皇の神亀年間(724-729)に藤原鎌足の玄孫で東国八国総追捕使として由比ガ浜に居を定めていた染谷太郎大夫時忠が鷺に攫われた我が子のために名越御嶽に寺を建立したのが起源という。鎌倉という地名が鎌足に由来するという鎌倉伝説につながる話と言える。忠時の寺は後に医王山長善寺と呼ばれるようになった。上杉禅秀の乱(1416)で類焼した他、幾たびかの火災で寺の規模は次第に縮小を余儀なくされたのだろう。

寺そのものも名越御嶽から本興寺北の小町大路東に移転。幕末の火事によって、薬師堂のみとなって、遂に無住となり、明治22(1889)年には横須賀線敷設によって再度移転した。

本尊の大医王仏こと薬師瑠璃光如来(薬師如来)は鎌倉に現存する数少ない平安佛にして行基作と伝えられる。ただ、この薬師如来は鎌倉時代に二階堂行光が永福寺の横に建立した医王山東光寺の本尊であったことが1940(昭和15)年の胎内調査で見つかった銘札で判明している。1335(建武2)年に護良親王が幽閉先の東光寺で足利直義の家臣の淵辺義博に殺害された廃寺となった後に長善寺に移されたと考えられている。如来像を始めとする諸像は、1993(平成5)年に市立鎌倉国宝館に移された。


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