観音寺

醒ヶ井通りにある。正式な名前は堤境山寿福院観音寺。(醒ヶ井通仏光寺下る東側荒神町)最澄が自ら彫ったという本尊十一面観音を祀を祀っている。ここには、かつて、光仁天皇の皇子開成親王の作と言われる三宝大荒神が祀られていた。三宝大荒神というのは、日本古来の荒魂(あらみたま)に、古代インドに源泉をもつ夜叉神などの様々な神々が融合して発展したもの。仏・法・僧の三宝を守るということでの三宝というわけ。また、竈(台所)の神様としても知られている。当初は摂津の勝尾山の清荒神にあったが、後小松天皇の勅により僧乗厳が醒ヶ井高辻の地に勧請。清荒神と名付けられた。その後、1600(慶長5)年に現在の京都御所の東の河原町通荒神口の清荒神に移された。

観音寺は清荒神の跡地ということになる。


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