犬懸上杉邸跡

金沢街道から一本入った田楽辻子に面したところにある。関東管領上杉氏憲の邸跡。氏憲は朝宗の子で、上杉禅秀として知られる人物。上杉憲定の後に関東管領に就任。ところが、若い鎌倉公方の足利持氏は禅秀に反発。山内上杉氏の憲基を重用。抗議のために禅秀が関東管領職を辞任すると、山内上杉憲基を関東管領に任命。犬懸家と山内家は同じ上杉家でもライバル関係にあったため、禅秀は猛烈に反発。持氏の叔父の足利満隆(新御堂殿)、持氏の弟の持仲とともに「上杉禅秀の乱」を起こす。しかし、京の将軍足利義持が上杉房方(1367-1421;関東管領山内上杉憲方の子)、駿河国の今川上総介範政(1346-1433)の鎌倉侵攻によって鎌倉雪ノ下で自害。犬懸上杉氏は事実上滅んだ。


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