宝蔵寺

宇都宮の駅前近く、宮の橋を渡った場所にある天台宗寺院。宇都宮氏が寄進した鐘である「およりの鐘」で知られる。およりの鐘は日野町通りにあった東勝寺にあったもので、宇都宮氏の三つ巴の家紋が鐘の中帯に20個ほどの付いているという宇都宮氏ゆかりの品。宇都宮氏滅亡時(1597)に東勝寺が廃寺となったことで鐘は流浪の身となる。場所を変えつつも江戸時代を通じて宇都宮城下に時を告げていたという。「おより」というのは「御寝り」のこととされ「お休みになる」の意味とされている。宝蔵寺に鐘が移ってきたのは1944(昭和19)年のこと。

宝蔵寺には、室町時代の1494(明応3)年の銘がある定朝様の定印阿弥陀仏や同じく室町時代の1354(文和3)年の法眼院広の銘がり、江戸時代の寛政年間に宇都宮の高田仏師によって修復された木造普賢菩薩坐像もある。

少し、変わったものとしては庫裏の前に人知れず置かれている石棺。この石棺も昔から宝蔵寺にあったわけではなく、1904(明治37)年に県庁前の粉河寺跡から即身成仏のミイラとともに出土したもの。粉河寺は戊辰戦争(1868)と1891(明治24)年の大火で伽藍を焼失。1893(明治26)年に石棺は宝蔵寺に移された。その後、ミイラは第二次世界大戦時の戦災で灰と化してしまった。


即身成仏が納められていた石棺



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