平 維茂将軍塚

信州の鎌倉、別所温泉の中央部にある円墳。塩田平を治めた奈良時代の豪族の墓とも、平将門の乱平定で名を馳せた平 貞盛の甥で養子となり15番目の子として余五将軍と呼ばれた平 維茂の墓とも言い伝えられる。平 維茂というと唐突ではないかとも思われるがさにあらず。鬼女紅葉伝説、謡曲「紅葉狩」繋がり。紅葉は奥州会津の伴笹丸・菊世夫妻が第六天魔王に願って出来た子。京都に出て清和源氏の祖六孫王源経基の寵愛を受けるようになる。しかし、比叡山大行満律師によって正室を呪詛していたことを暴かれ信州戸隠に流された。戸隠で最初は村人の病気を治療したりしていたが、栄華栄誉への夢立ちがたく、次第に一党を組織して富豪の家々を襲うようになった。その噂は京都にも届き、紅葉討伐のために派遣されたのが平 維茂。平 維茂は苦戦するも、別所温泉の北向観音の加護によって紅葉を討ち取ったという。しかし、維茂も戦いに傷つき別所温泉での湯治も虚しく亡くなったとされている。という次第で、別所温泉は二重に維茂と繋がっている。

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