愛知氏

河内源氏為義流。義朝の子で鎌倉幕府を興した源 頼朝の弟の阿野全成(1153-1203)の子孫頼為が尾張国愛知郡に住んだことから始まる。

全成は義円、義経と同じく常盤御前の子。平治の乱で父親の義朝が敗れると捕らえられ醍醐寺に預けられた。醍醐寺時代には醍醐禅師とも悪禅師とも呼ばれた。兄の頼朝が伊豆で挙兵に及ぶと麾下に入り北条政子の妹の阿波局(保子)と結婚。阿波局は後の実朝である千幡丸の乳母となるなど、義経とは異なった道を歩んだ。駿河国阿野荘を所領としたことから阿野を名乗る。

ところが、頼朝が亡くなると2代将軍頼家と北条家との争いに巻き込まれる形で頼家と対立。1203(建仁3)年に源 頼家が武田信光に命じて捕縛、常陸国に流された上、八田知家によって斬殺された。阿野の名は全成の娘が藤原魚名流藤原公佐と結婚し生まれた実直が公家として承継した。

一方、全成の全成の四男・時元(阿野冠者)は北条政子の尽力によって連座を免れ駿河国阿野荘に隠棲する。その後、3代将軍源 実朝が暗殺され源家将軍が絶えると将軍位を狙い挙兵。鎌倉幕府執権北条義時の命によって金窪行親によって討ち取られた。


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