出雲大社

大国主大神を祀る出雲大社。大国主命は豊葦原瑞穂国と呼ばれた日本を建国した後に天照大御神に国を譲った神話で知られている。。『古事記』によると、天照大御神(アマテラス)が治める高天原を追放された弟の素戔嗚尊(スサノヲ)が斐伊川で八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治し、助けた奇稲田姫と結婚。須我(須賀)に宮殿を構えて産んだのが大国主命。高天原から派遣された建御雷神(タケミカヅチ)は大国主命から国を譲り受け、その代わりに出雲大社を屋敷として与えたということになっている。この時、大国主命の子の建御名方神(タケミナカタ)は国譲りに強硬に反対しレジスタンスを試みる。戦いは激しく、建御名方神(タケミナカタ)は建御雷神(タケミカヅチ)に押されて遂には海に面した出雲から遠く離れた諏訪に追いやられ諏訪大社の地に閉じ込められてしまうことになる。こうして、建国の立役者である大国主命は結局は出雲大社の地に押し込められた形となり、抵抗運動を率いた子の建御名方神(タケミナカタ)は諏訪大社に閉じ込められた。

726(神亀3)年以来、大社を多くの神々が築いたということから杵築大社と呼ばれてきたが、一般の名称としては今日に至るまで出雲大社。出雲大社大宮司千家は天照大御神(アマテラス)の子の天穂日命(アメノホヒ)の子孫の出雲国造の子孫。


2003年8月29日(金)撮影

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