如意輪寺


吉野の金峯山寺とは谷を隔てて反対側にある寺。地図では近かったが、実際に歩いてみると意外と距離を感じた。当日、私以外は誰も人が居なかったせいかもしれない。桜の季節なら大勢の観光客が押し寄せるだろうし、普段ならば人が多かったに違いない。ところが、私が訪れた日は台風が通過していた。丁度、私が関東から吉野へと向かうのと反対に台風が関西から東海を抜けて関東へと向かったので、雨に遭うことはなかったことだけは幸いと言える。
その御蔭という訳ではないけれども、後醍醐帝がそして政治の中枢から除かれた多くの人々が過ごした時代の面影を想うには最適だった。
如意輪寺の創建は延喜年間(901-22)、後醍醐帝の勅願寺という。
この寺の裏手にある楠木正行の「埋髻墳」の脇を登ったところに、塔尾陵(とうのおのみささぎ)という後醍醐天皇陵がある。この塔尾陵は延元4(1339)年に後醍醐帝の遺言である

玉骨は縦(たとひ)南山の苔に埋(うづむ)るとも、魂魄は常に北闕の天を望(のぞま)んと思ふ
に従って、天子は南面すの反対に北の京都に向かって、つまり北面して築かれている。

また、楠木正行が大阪四条畷の戦いに出陣する前に鏃で記した辞世の歌を如意輪堂の扉に刻み込んだことでも知られている。


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