『マリー・ド・メディシスの運命』

マリー・ド・メディシス(1573-1642)はブルボン朝の創始者アンリ4世の王妃にしてルイ13世の母親。マリーの生涯は決して平坦なものではなかったが、1617年には息子のルイ13世とリュシュリュー枢機卿に対してオルレアン公ガストンと組んで叛乱。失敗後に許されるも再びリュシュリューに挑んで1631年にはブリュッセルに亡命を余儀なくされ、フランスに戻ることなく亡くなるなど波乱万丈だった。まさにルーベンスの絵の通り神話そのもの。

This page is powered by Blogger. Isn't yours?