京都ルネサンス

18世紀の京都の町では、円山応挙、伊藤若沖、曾我蕭白、長澤蘆雪、与謝蕪村、池大雅の6名の画家が同時に活躍して「京都ルネサンス」と呼ばれる状態だった。「京都ルネサンス」いいフレーズ。『美の巨人』で取り上げられていたが池大雅と与謝蕪村が嚆矢となった。国宝「十便図・十宜図」は、その文人画の2大巨匠、池大雅と与謝蕪村の競作。この絵が描かれた1771(明和8)年に池大雅は知恩院袋町に、ようやく落ち着いた与謝蕪村は四条烏丸に住んでいた。性格も生い立ちも異なる2人が近くで交流していた。もう、それを想像しただけでもゾクゾクしてしまう。

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