初期キリスト教美術

ローマ末期から313年のコンスタンチヌス帝のミラノ勅令を経て5世紀ないし6世紀の初期中世までの美術。

ローマのカタコンペ、シリアのドゥーラ・エウロポスのキリスト教の家洗礼堂は勅令以前の美術として有名。勅令以前をカタコンペの時代という。

勅令以後は集会所バシリカをキリスト教会に転用した長方形三廊/五廊式プラス半円形アプシスというバシリカ式教会が建造される。バシリカ式教会としては旧サン・ピエトロ寺院、サンタ・マリア・マッジョーレがある。


■紀元前4年頃 キリスト誕生。
■30年頃 キリスト教成立。
五賢帝時代(96-180)。ネルヴァ Nerva(位96-98)、トラヤヌス Trajanus(位98-117)、ハドリアヌス Hadrianus(位117-138)、アントニヌス=ピウス Antoninus Pius(位138-161)、マルクス=アウレリウス=アントニヌス Marcus Aurelius Antoninus(位161-180)が統治しローマの平和を享受。
軍人皇帝時代(235-284)。マルクス=アウレリウス=アントニヌス帝末期からパルティアやゲルマン諸族からの圧迫を受け帝国は危機に。マルクス=アウレリウス=アントニヌス帝死後は軍人達が帝位を争う事態となる。アフリカ出身のセプティミウス=セウェルス帝 Septimius Severus(位193-211)は経済統制によって軍事力を立て直す。しかし、ウァレリアヌス Valerianus(位253-260)はササン朝ペルシアの捕虜となるなど3世紀の危機。
■313年 コンスタンティヌス帝 Constantinus(位310-337)、ミラノ勅令 Edict of Milan によりキリスト教公認。
■330年 ローマ帝国の首都をビザンティオン Byzantion に遷都しコンスタンティノポリス Constantinopolis と改称。
■395年 テオドシウス帝 Theodosius (在379-395)がローマ帝国が東西に分割して2子に与える。
■476年 西ローマ帝国がゲルマン人傭兵隊長オドアケル Odoacer(434頃-493)により滅亡。
エトルリア美術 ギリシア美術

ビザンティン美術


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