富山城址

富山城は1532(天文元)年水越勝重の縄張りによって神保長職によって築城されたのが最初。その後、富山城は神保氏3代の居城となる。上杉謙信によって神保氏が追われると、城には上杉氏家臣の小笠原長隆、上杉信定が入る。
織田信長が富山を制圧すると、佐々成政が富山54万石に封じられ居城とした。佐々が豊臣秀吉に下ると、加賀前田家の城となり浮城とも呼ばれた。前田利長は、加賀・能登・越中の3ヶ国120万石を得た。慶長10年に利長は隠居して富山城に移るが、慶長14年に主要部の建物をことごとく焼失、高岡城を築いて移る。
しかし、そこで歴史が終わった訳ではない。寛永16年、加賀藩3代前田利常は、次男の利次に10万石を与え富山藩として分家させる。利次は、廃城と化していた富山城を修復し居城とした。以後富山前田氏13代の居城として明治に至る。現在の天守閣は戦後の復興時に建設されたものだが、富山城は今も別の形で、なお輝き続けている。

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