亀山稲荷

京都の中野之町には1730年頃から丹波篠山藩5万石形原松平紀伊守信岑の京屋敷があった。形原松平信岑は1748(寛延元)年に丹波亀山に転封、亀山藩は形原家で幕末を迎える。形原松平家の鎮守だったのが白瀧大明神と花月大明神を祀る亀山稲荷。形原松平家京屋敷は明治維新後は修徳小学校の仮校舎としても使われたという。しかし、今は何もない。中野之町の方々によって稲荷社が守られている。

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