里見氏

清和源氏義家流新田氏

新田太郎義俊が現在の群馬県の榛名に当たる上野国里見を所領としたことが起源。その後、15世紀半ばに義実が安房を領有。義豊は親族の内紛で実尭を殺害。実尭の子の義尭は後北条氏の氏綱とともに里見宗家の義豊を攻め滅ぼし、親の敵をとるとともに里見宗家の地位を承継。上総・下総への勢力拡大を図って名門千葉氏と争った。

千葉介親胤の代には千葉家は家臣の小金城主高城胤則、土気城主酒井康治、東金城主酒井政辰らが権勢を誇るようになっていた。その隙をついて里見義弘が攻め入ったいる。

1590(天正18)年の小田原攻めで後北条氏、千葉氏が滅亡した後も里見氏は存続。しかし、忠義の妻の祖父が大久保忠隣だったことから連座して安房国から伯耆国へと転封処分となる。その後、嗣子がいなかったために里見家は断絶した。


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