嵯峨釈迦堂
この寺の起源は平安時代にさかのぼる.嵯峨天皇の皇子であった源融が愛宕山麓に営んだ山荘棲霞観が後に棲霞寺となり, その後, 奝然[ちょうねん]が宋に渡って釈迦如来像を造らせて請来し, それを安置するための釈迦堂が建立された.寺号は中国・五台山の清凉寺にちなむもので, 寛和3[987]年に改称された.当初は棲霞寺が主で釈迦堂は従の関係であったが, やがて釈迦堂の信仰が広まり, 棲霞寺を凌駕して現在の清凉寺の姿へと展開していった.
本尊の釈迦如来立像は, 奝然が宋より請来した尊像で清凉寺式釈迦像と称される.高さ約160センチの木像で, 縄状の髪, 流麗な衣文, そして眼や耳に水晶を嵌め込むなど, 実在感を強調した造形を特徴とする.1953年には体内から五臓六腑を模した絹製模型や経典が発見され, 生身の仏として篤い信仰を集めている.この像を範にした模刻は鎌倉時代以降, 全国に広がり, 清凉寺式の釈迦像は日本仏教美術史に大きな影響を及ぼした.
また, 棲霞寺以来の本尊であった阿弥陀三尊像[丈六阿弥陀如来坐像および両脇侍像]は国宝として現存し, 特別公開の折には霊宝館において公開される.
伽藍は江戸時代に整備され, 本堂は元禄14[1701]年に徳川綱吉とその母桂昌院の寄進によって再建されたものである.仁王門も江戸時代に再建され, 阿吽の金剛力士像を安置している.境内には多宝塔, 源融の墓, 奝然の墓, さらには豊臣秀頼の首塚とされる史跡などが点在し, 歴史的な重層性を示している.
近隣の大覚寺とは歴史的に関係があるが, 清凉寺は現在浄土宗に属しており, 真言宗大覚寺派の大覚寺とは異なる宗派となっている.
@2023-01
今日も街角をぶらりと散策.
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