ぶらぶら絵葉書

中銀カプセルタワー

中銀カプセルタワービルは, 日本の建築史における最も象徴的な実験建築の一つであり, 戦後日本が世界に発信した建築思想「メタボリズム[Metabolism]」の具現化として, 20世紀後半の都市建築史に決定的な影響を与えた建築である.

本建築は, 東京都中央区銀座八丁目, 新橋駅近傍に建築家黒川紀章の設計により1972[昭和47]年に建設された.発注者は中銀マンシオン社長の渡辺酉蔵であった.渡辺は弁護士から不動産業に転じ, 「別荘の民主化」を掲げ, 都市生活者が利用できる小規模な第二の生活空間を構想した.「都市に生きるビジネスマンのためのセカンドハウス」として設計されたこの建築は, 鉄骨鉄筋コンクリート造[一部鉄骨造]のツインコア構造[地上11階建てと13階建て, 地下1階]を中心に, 外周へ140個のカプセルユニットをボルトで取り付ける構造を採っていた.各カプセルは約10平方メートル[幅2.55m×奥行き4.17m×高さ2.67m]の小空間で, ベッド, デスク, 収納, テレビ, オーディオ, ユニットバスを備え, 単体で完結した生活単位を形成していた.

この建築の根幹にある理念は, 黒川が中心となって提唱したメタボリズム建築運動に由来する.メタボリズムは「新陳代謝」という時間的概念を建築と都市に導入し, 可変性・成長性を備えた空間を志向する思想である.1960年, 評論家の川添登を中心に, 黒川紀章, 菊竹清訓, 大高正人, 槇文彦らによって提唱され, 世界的なムーブメントとなった.構造体[コア]を恒久的な要素とし, 周囲の居住ユニットを時代や需要に応じて交換・更新するという発想は, 生命体の新陳代謝を建築に応用したものである.中銀カプセルタワーは, その理論を初めて現実に具現化した実作であり, 工業化とプレファブリケーション技術を結合させた画期的な試みであった.

しかし, 黒川が構想した「カプセルの定期的交換による建築の更新」は実現しなかった.設備の老朽化, メンテナンスの困難, 区分所有権の分散, 耐震性能の懸念などが次第に顕在化したためである.21世紀初頭には保存か解体かをめぐる議論が長期にわたり続き, 2010年代には「中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト」が立ち上げられたが, 経済的・技術的制約から保存は断念された.2021年に管理組合による敷地売却が決定し, 2022年に建物は解体された.

とはいえ, この建築の歴史的意義はきわめて大きい.中銀カプセルタワーは, 機能主義的モダニズムが行き詰まりつつあった時代において, 建築を固定的な構造物ではなく「生きた有機体」として再定義した思想的転換を象徴するものであった.個人単位のモジュール空間を都市ネットワークに結びつけようとした発想は, 今日のモバイルワーク, コリビング, モジュラー建築, さらには宇宙居住の思想にも通じる先駆的な視座を提示していた.

黒川紀章にとって中銀カプセルタワーは単なる建築作品ではなく, 「人間と都市の関係を動的に捉える哲学的装置」であったといえる.その理念は後のメタボリズム建築群やアーバンモジュール計画, さらにはサステナブルデザインの思想にも深く影響を及ぼした.解体後, 23個のカプセルが保存され, 黒川紀章建築都市設計事務所の監修のもとで再生が進められている.2023年以降, 和歌山県立近代美術館, INAXライブミュージアム, イタリア国立21世紀美術館[MAXXI], 香港のM+など国内外の美術館で展示されており, 現代建築史・デザイン史・都市論の重要資料として位置づけられている.

2022年に解体.

@2014


今日も街角をぶらりと散策.
index





















- - - -