平山季重館

京王高尾線の平山城址公園駅はそのものずばり平山氏の館のあった場所。平山季重は武蔵七党の西党に属し、日奉宗頼を祖とする猛者。壇の浦の戦いの後に、義経らとともに朝廷から右衛門尉に任ぜられたことから源頼朝に叱責された人物。

しかし、奥州征伐で武勲を挙げ、「驍勇無双の勇士」と呼ばれました。

1213年の和田合戦で縁の深かった横山党とともに和田義盛の軍に加わり鎌倉で討死したと伝わります。

その後、天正年間(1573-1591)に、平山季重の館があった場所に先祖供養のために、今、駅のあるところに大平山大福寺という寺が建立されました。

時は経ち、寺は廃寺となりましたが、幕末に下総国香取郡鏑木に住んでいた子孫の平山正義が建立した碑がは歴史を伝えています。


平山季重の墓

大平山大福寺にあった平山季重の墓は、大福寺が1884(明治17)年に廃寺となり、近くの宗印寺に移されました。