村山氏館

東京都瑞穂町殿ヶ谷の福正寺にある村山土佐守一族の墓。福正寺は武蔵七党村山党の村山氏の菩提寺で、付近一帯は殿ヶ谷の地名の通り村山一族の館があったとされる場所。

村山氏は、村山頼任を祖先とする武士団で、村山郷と呼ばれた現在の武蔵村山、瑞穂、東大和、東村山一帯に勢力を張っていました。

村山頼任は桓武平氏の血脈を継ぐといいますから、坂東平氏に連なることになります。 この村山党の支族には、荏原郡大井郷の大井氏、入間郡金子村の金子氏、入間郡仙波荘の仙波氏、その他に宮寺、山口、黒須、横山、荒畑(荒波田)氏が知られています。

村山氏の菩提寺は福正寺(臨済宗)で、同寺には天正15(1587)年の村山土佐守義光の再建の記録が残る他、多摩八社の一つである阿豆佐味天神社の棟札には文明14(1482)年に村山土佐守が社殿を修復したという記録が残されています。

なお、福正寺自体は1318(文保2)年3月に天台宗の天照林和尚を開基、臨済宗の通翁鏡円禅師を開山として開かれました。正式な名称は金龍山福正禅寺といい臨済宗建長寺派。通翁鏡円禅師は晩年に京都の花園法皇によって万寿寺に招かれ、更に後醍醐天皇によって南禅寺八世となっています。通翁鏡円禅師は普照大光国師を謚られました。そのために十六菊花紋を寺紋としています。