

ギリシアのペロポネソス半島東部にあるアルゴリス地方のミケーネ[Μυκῆναι,Mycenae]出土の器.
ミケーネ文明は, 青銅器時代後期のギリシア本土において成立・発展した文明であり, 紀元前1600年頃から前1100年頃にかけてエーゲ海世界に広く影響を及ぼしたものである.その中心はミケーネ, ティリンス, ピュロスなどの城塞都市にあり, 強固な防御施設と宮殿的建築を基盤とする政治体制が特徴である.
ミケーネ文明は, 先行するクレタ島のミノア文明の影響を強く受けつつ, 次第にギリシア本土独自の軍事的・階層的社会を形成した.紀元前1450年頃にはクレタ島の宮殿群を制圧・支配下に置いたとも考えられており, ミノア文明が海洋交易を中心とした比較的開放的な性格を持つのに対し, ミケーネ文明は城塞化された拠点と武装した支配層を特徴とし, より戦闘的・支配的な性格を帯びていたと考えられる.
政治構造の中心にはワナックス[wanax]と呼ばれる王が存在し, その下にラワゲタス[lawagetas]と呼ばれる軍司令官に相当する役職や貴族層・官僚機構が組織されていた.この体制は宮殿を中核とする再分配経済によって支えられており, 農産物や工業製品は一旦宮殿に集積され, そこから再分配される仕組みであった.このような行政的管理の実態は, 粘土板に記された線文字Bによって具体的に確認されている.線文字Bは古代ギリシア語の最古の記録であり, 1952年にマイケル・ヴェントリスによって解読されたことで, ミケーネ文明がギリシア語を話す人々によるものであったことが明らかとなった.なお線文字Bの元となった線文字Aはミノア文明で使用されたものであるが, こちらは現在も未解読のままである.
建築においては, 巨大な石材を用いたキュクロプス式城壁が顕著である.この名称は, 後世のギリシア人がその巨石構造を人間の技術とは考えがたく, 神話的巨人キュクロプスによるものと想像したことに由来する.宮殿建築の中心にはメガロンと呼ばれる大広間があり, 中央に炉を備えたこの空間は, 政治的・宗教的儀礼の場として機能していた.メガロンの構造——玄関ポーチ, 前室, 主室という軸線上の配置——は, 後の古典期ギリシア神殿建築の原型の一つとも見なされている. またミケーネにはアトレウスの宝庫とも呼ばれる巨大なトロス墓が現存し, 直径約14.5メートルのドーム状石室は青銅器時代の石造建築の到達点として知られる.さらにミケーネの城門に施されたライオン門[紀元前1250年頃]は, エーゲ海世界最古の記念碑的彫刻として重要である.
経済的には, 農業[小麦・オリーブ・葡萄]を基盤としつつ, 青銅器生産や陶器製作などの手工業が発展していた.また, エーゲ海を越えて広範な交易ネットワークを形成し, エジプトやレヴァント, アナトリアとも接触していたことが考古学的に確認されている.ミケーネ式土器が地中海各地で発見されていることは, その交易圏の広がりを示す重要な証拠である.
宗教については詳細が限定的であるが, 後のギリシア神話に見られる神々の一部[例えばゼウスやヘラ, ポセイドン, アテナ, ディオニュソス]に対応する名称が線文字B文書に現れることから, 古典期ギリシア宗教の原型がすでにこの時代に存在していたと推測される.また, 墓制においては竪穴墓[シャフト・グレイブ]やトロス墓が知られ, 支配層の権威と富を示す重要な考古資料となっている.特にハインリヒ・シュリーマンが1876年にミケーネで発掘した竪穴墓群からは黄金のマスク[いわゆるアガメムノンのマスク]をはじめとする豊富な副葬品が出土し, ミケーネ文明研究の端緒となった.
ミケーネ文明の終焉は紀元前1200年頃から始まり, 多くの宮殿が破壊・放棄され, 前1100年頃までに文明としての実態を失った.その原因については, 外敵の侵入[いわゆる海の民], 内部的社会不安, 自然災害, 気候変動など複数の要因が複合的に作用したと考えられているが, 決定的な結論には至っていない.この崩壊はエーゲ海世界全体に及ぶ青銅器時代の危機の一環であり, その後ギリシアは暗黒時代[前1100年頃–前800年頃]と呼ばれる文化的停滞期に入る.この時期には人口の激減, 文字の消滅, 交易網の崩壊が生じたが, 一方でこの空白期を経て形成されたポリス社会と古典期文明が, 西洋文明の根幹をなすことになる.
'Beauty is truth, truth beauty,'-that is all Ye know on earth, and all ye need to know.
John Keats,"Ode on a Grecian Urn"
