川合

藤原北家利仁流.遠江松葉城[静岡県掛川市内倉真字松葉]を本拠とした.

『掛川誌稿』には,「河合宗忠ハ,当時今川家ノ幕下ニシテ,倉真村松葉ノ城主タリ,其頃勝間田播磨守,鶴見因幡守ト云者アリ,故アリテ相與ニ謀リテ松葉ノ城ヲ襲フ,時ニ川合氏ノ家臣落合九郎左衛門久吉ナル者内ニ恨ムノレ事アリテ,ウラキリヲナセシカハ,宗忠,忽利ヲ失ヒテ,寛ニ戦死スルニ至ル,其妻女モ亦深淵ニ溺死ス」とある.ここで,宗忠とは河合蔵人成信の法名である.

また,『掛川市史 上巻』において,小和田哲男氏は「現在の掛川市域において最大の力を持っていた国人領主は,氏であった.氏は,東遠の横地氏や勝間田氏と並び,北遠の天野氏,西遠の井伊氏などと肩を並べる遠江を代表する国人領主であった.そして,ランクとしては国人領主であるが,規模の点でかなり劣るものに,川井氏・松浦氏・鶴見氏らがいた.<中略>室町時代末には,河合氏は松葉城を本城とし,初馬城を支城とし,国人領主制を展開していたが,明応5年[1496]9月,今川氏親北条早雲によって攻められ没落した.」としている.

遠江河合氏は,河合宗忠の子の河合宗在徳川家康に仕え,永禄4[1561]年に酒井雅楽頭家5代当主の酒井正親の与力となっている.

以降,河合家は酒井家の家老職を務めた.江戸時代後期の姫路藩家老で財政再建に貢献した河合道臣[寸翁;1767/1841]が著名.

家紋は丸に違い鷹の羽など.

系譜





















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