蒲田

桓武平氏良文流武蔵江戸氏族.武蔵国荏原郡蒲田[東京都大田区]を発祥の地とする.

江戸正長[蔵人入道希全]の子・蒲田忠武[-1410]が蒲田郷を相続し蒲田氏を名乗ったのが起源.

蒲田忠武は延文3/正平13[1358]年に武蔵江戸氏12代当主・江戸長門が鎌倉を目指す新田義興[1331-1358]の迎撃を命じられた際に矢口渡において新田義興を謀殺している.

室町時代には江戸氏とともに関東公方・足利氏に仕えている.

鎌倉公方の足利持氏と関東管領の上杉憲実が対立し永享の乱が勃発すると,蒲田道秀[-1438]は鎌倉公方足利持氏方として戦い,早川尻の戦いにおいて討死.

享徳の乱においては,蒲田道秀の弟・蒲田下総入道道景が大袋原で討死した他,その子の蒲田兵庫助郎忠も討死した.

永享の乱,享徳の乱で衰退を余儀なくされた蒲田氏は,やがて,新興勢力である後北条氏の配下に組み込まれていった.蒲田致重の孫・蒲田重武は北条氏直に仕え,梶原景信の娘を正室とし,第5代古河公方・足利義氏からの信頼も厚く,北条氏の御家門に準じた待遇を受けている.

後北条氏が豊臣秀吉によって滅びると,徳川家康の母方の従弟である土井利勝[1573-1644]に仕え,土井氏が下総古河藩第4代藩主・土井利久[1666-1675]に嗣子なく没後除封された為,陸奥国相馬中村藩へと仕えて血脈を伝えた.





















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