冨樫

藤原北家利仁流.石川県金沢市・野々市市東部[加賀国土無加之郷]を発祥の地とする.鎮守府将軍藤原利仁の次男の叙用が加賀国土無加之郷に拠ったことを起源とするという.代々,加賀介に任ぜられ八介の一つである冨樫介を称した.

建武2[1335]年,冨樫高家は加賀国守護職に任ぜられ,その子の富樫昌家[-1387]も加賀国守護職を世襲.富樫昌家の死後に弟の満家が継ぐが,室町幕府管領・斯波義将[1350-1410]が冨樫満家から守護職を剥奪.代わって,斯波義将の弟の斯波義種[1352-1408]が加賀国守護職となる.

応永21[1414]年,斯波義種が失脚すると富樫満成[-1419]が加賀南半国守護に,兄弟の富樫満春[-1472]が加賀北半国守護に任ぜられる.

応永23[1416]年,関東において前関東管領の上杉禅秀が鎌倉公方・足利持氏に叛旗を翻す[上杉禅秀の乱].乱は鎮圧されるが室町幕府将軍・足利義持の異母弟・足利義嗣が突如出奔.室町幕府将軍・足利義持の命を受けた富樫満成は足利義嗣を捕縛し誅殺[1418].ところが,その後,富樫満成は足利義嗣に謀反を働きかけたとして追放され,応永26[1419]年に幕命をもって畠山満家により討たれた.

一連の政争の結果,冨樫満春が加賀国一国の守護職を得る.以降,富樫政親[1455-1488]が長享2[1488]年に石川郡高尾城を本願寺門徒と加賀国人衆に攻められ自刃するまで,冨樫家は加賀国守護職を世襲.

家紋は八曜など.

出典:20181121-1200161AH





















index|家紋|     立花     中根     飯野     冨樫     森近


Warning: fclose(): supplied argument is not a valid stream resource in /var/www/html/history/familytree.php on line 194