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[ヘレニズム時代]
ヘレニズムの定義
広義のヘレニズム:ヘブライズムとともにヨーロッパ文明の源流の一つであるギリシア思想のこと。
狭義のヘレニズム:古典的ギリシア文化とローマ文化との中間の前4世紀末以降の文化。このヘレニズムという用語はドイツの歴史家ドロイゼン(1808-84)が『アレクサンドロス大王史』(1833)で提唱し『ヘレニズムの歴史』で定着して。
政治的意味でのヘレニズム:前334年から前30年までの期間。


マケドニア王国:ヴェルギナの太陽の国
マケドニア人:バルカン半島を南北に走るピンドス山脈からオリュンポス山北麓のピンドス平原に前7世紀頃に侵入したドーリア人の一部族。
前359年:フィリッポス2世(位前359-前336)即位。王はテーベでの人質時代にエパメイノンダスの斜線陣戦法を目の当たりにし、即位後に長槍歩兵によるファランクス(密集隊形)を完成させた。続いて、テッサリアやカルギディケなどを併合し王領を拡大。
前356年:ギリシア隣保同盟(アンフィクチナニイ)がフォキスに対し神聖冒涜罪を決議、第3次神聖戦争(-前346)開始。アテナイはフォキス側。
前352年:デモステネス「フィリッポス弾劾演説」。
前346年:第3次神聖戦争に介入していたフィリッポス2世がフォキスを下し戦争を終結。続いて「フィロクラテスの和約」でアテネとマケドニアが和解。この和約で、マケドニアはカルキディケー半島とトラキアを、アテナイはケルソネソスを領有。
前344/3年:マケドニアとアテナイの間でフィロクラテスの和約の修正交渉。交渉は失敗しアテナイは対マケドニア主戦派が実権。
前339年:「アンフィッサ戦争(前339-前338)」。ギリシア隣保同盟がアンフィッサに宣戦布告。同盟側のフィリッポス2世、エラテア占領。
前338年:「カイロネイアの戦い」。フィリッポス2世がアテネ・テーベ連合軍を撃破。
前337年:コリント会議で、スパルタ除いて、フィリッポス2世を盟主とする全ギリシア同盟(コリント同盟 League of Corinth)が成立。
前336年:フィリッポス2世暗殺。

アレクサンダー大王
前336年:アレクサンドロス3世(leksandros III;前356-前323)即位。国内平定の後に直ちにギリシアに侵攻。フィリッポス2世の死に乗じて反マケドニアに転じた諸都市を制圧。特に、テーベは徹底的に破壊され全市民は奴隷とされた。
前334年:ペルシア遠征へ。
「グラニコス川の戦い」でダレイオス3世(在前336-前330)率いる軍を撃破。
前333年:「イッソスの戦い」でダレイオス3世敗走。
前332年:アレクサンダー3世がエジプト進出。翌年、軍港アレクサンドリアを建設。
前331年:「アルベラの戦い」で再びペルシア軍敗北。ダレイオス3世はイラン高原へ逃亡。
前330年:アレクサンダー大王、ペルシア帝国の首都ペルセポリス占領。
この年、ダレイオス3世はバクトリア総督に殺されたことで、アケメネス朝ペルシア帝国滅亡。
前327年:アレクサンダー大王、ヒンドゥークシ山脈を越え、西北インドのパンジャープ地方侵攻。インド征服を開始。
前326年:インダス川を渡り、ガンジス川流域に侵攻するも軍内で帰国論が高まったために帰路に就く。
前323年:アレクサンダー大王、バビロンで死去。

ディアドコイ(後継者)戦争
前323年:王位継承を巡って大王妃ロクサーネが胎児(アレキサンダー4世)を後継者とする一派と、王子アリダイオス(フィリッポス3世)を後継者とする歩兵集団の間で対立。
ペルディッカスが調停し共同統治を提案し決着。
摂政となったペルディッカスはプトレマイオスにはエジプト、アンティゴノスにはフリュギア、リュシマコスにはトラキアを、アンティパトロスにはヨーロッパを任せ、フィリッポス3世の後見にクラテロスを任命、ヨーロッパの統治をアンティパトロスに任せた。
前322年:リュシマコス、アンティパトロスとプトレマイオスら対ペルディッカス同盟結成。第1次ディアドコイ戦争へ。
前321年:摂政ペルディッカス、エジプト遠征途上に部下セレウコスにより暗殺。
同年、シリアのトリパラディソスの軍会で、アンティパトロスが摂政となる。
前319年:摂政アンティパトロス死去。ポリュペルコンが摂政となるも対立が生じ第2次ディアドコイ戦争に発展。
同年、プトレマイオスがシリア占領。これによりアレクサンダー帝国は事実上終焉。
前317年:インドのインダス川流域でマウルヤ朝がアレクサンダー大王征服地を回復。
同年、マケドニアではアレクサンドロス4世不在中にフィリッポス3世周囲がカッサンドロスを摂政とするクーデターを実行。アレクサンダーの母であるオリュンピアスがアレクサンドロス4世とともにマケドニアに攻め込みフィリッポス3世を殺害。
これに対してカッサンドロスがマケドニアを包囲しオリュンピアスとアレクサンドロス4世、ロクサネを捕らえる。
前316年:エウメネスがメディアでアンティゴノスに敗死。この結果、アンティゴノスはバクトリアを支配下に。
前315年:カッサンドロス、リュシマコス、プトレマイオス、セレウコスらが対アンティゴノス同盟を結成。第3次ディアドコイ戦争へ(-前311)。
前312年:「ガザの戦い」でプトレマイオスがアンティゴノスの息子デメトリオスを破る。
前311年:アンティゴノスとカッサンドロス、リュシマコス、プトレマイオスの間で和平協定。これによって、アレクサンダー帝国はエジプトのプトレマイオス、トラキアのリュシマコス、バビロニアのセレウコス、小アジア、シリア、メソポタミアのアンティゴノス、そしてマケドニアのカッサンドロスに五分割された。
前310年:アレクサンドロス4世、ロクサネが暗殺されアレクサンダー大王の血統断絶。