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[ユグノー戦争]
第1次ユグノー戦争(1562-1563)
1562年:ギーズ公フランソワ(Francis, Duke of Guise)がパリの郊外ヴァッシー(Vassy)でユグノー派新教徒を集団殺戮。この事件によって第1次ユグノー戦争の火蓋が切って落とされた。
1563年:カトリーヌ・ド・メディシスによるアンボワーズ勅令(Edict of Amboise)によって戦闘終結。この年、ギーズ公死去。

第2次ユグノー戦争(1567-1568)
1567年:カトリーヌ・ド・メディシスがブイヨンでネーデルラント総督アルバ公(Count of Alva)とユグノー派弾圧で合意。
同年、「モーの叛乱(Coup of MEAUX)」勃発。新教徒派貴族が国王拉致を画策するも失敗。続いてパリを占拠するもモンモランシィ公(Duke OF Montmrency)によって撃退(「サン・ドニの戦い」)。
但し、モンモランシィ公は戦傷がもとで数日後に死去。
1568年:「ロンジュモーの和議(the PEACE OF LONGJUMEAU)」。カトリック軍は新教徒叛乱軍をシャルトル(Chartres)に包囲。カトリック側と新教徒側で停戦に合意。

第3次ユグノー戦争(1568-1570)
1568年:ロレーヌ大聖堂(the Cardinal of Lorraine)が新教徒側の中心人物コリニー元帥(Gaspard II de Coligny;1519-1572)とコンデ親王(Prince de Condé)の誘拐を計画するも失敗。
ユグノー派がネーデルラントの独立派指導者オラニエ公と同盟。
1569年:「ジャルナックの戦い(the BATTLE OF JARNAC)」でアンジュー公の率いる国王軍がコンデ親王を捕らえ処刑。
コリニー元帥が代わって新教徒軍を率いるも、同年、「モンコントゥールの戦い(Moncontour)」で敗北。
1970年:「サンジェルマンの和議(the PEACE OF
SAINT-GERMAIN)」。この停戦合意によって新教徒側はラ・ロッシュ(LA ROCHELLE)、コニャック(COGNAC)、ラ・シャリテ(LA CHARITE)、モントーバン(MONTAUBAN)での信仰を認められる。

第4次ユグノー戦争(1572-1573)
1571年:コリニー元帥がシャルル9世の顧問就任。
1572年:パリで、新教徒のアンリ・ド・ナヴァル(HENRI OF
NAVARRA)とシャルル9世の妹でカトリックのマルグリット・ド・ヴァロアとが結婚。新旧教徒の政治的宥和が図られる。
「サン・バルテルミの大虐殺(the ST. BARTHOLOMEW DAY'S MASSACRE)」。祭に出席した新教徒が虐殺される。これにより指導者コリニー元帥らが死亡。
大虐殺を受けてラ・ロルシェ市民が王権否認と税の支払いを拒否。シャルル9世はアンジュー公を派遣しラ・ロルシュを包囲。
1573年:「ブローニュの和議(the EDICT OF BOULOGNE)」で戦闘終結。

第5次ユグノー戦争(1576)
1573年:ミヨー改革派政治会議で新教徒が「プロテスタント共和国」構想。
1574年:シャルル9世逝去。ヘンリ3世がポーランド王からフランス王として即位。
1575年:「ドルマンの戦い」で、ギーズ公が率いるカトリック軍が大勝。
1576年:アンリ・ド・ナヴァル(HENRI OF NAVARRA)が新教徒側に復帰。
同年、「ボーリュー勅令(the EDICT OF BEAULIEU)」によって戦闘終結。

第6次ユグノー戦争(1577)
1576年:ブロワの全国三部会(the French Estates General)開催。
同年、ギーズ公アンリが、カトリック同盟(the CATHOLIC LEAGUE)結成。
1577年:「ベルジュラック和約(the PEACE OF BERGERAC)」によって戦闘終結。

第7次ユグノー戦争(1580)
1579年:新教徒側がラ・フェールを襲撃。
1580年:「ル・フルクスの和約(the PEACE OF FLEIX)」により戦闘終結。

3ヘンリ戦争(The War of the Three Henries;1584-1589)
フランス国王アンリ3世(1551-89、位1574-89)と、旧教派のギーズ公アンリと新教徒アンリ・ド・ナヴァルとの三つ巴の戦争。
1588年:王位を狙ったギーズ公アンリをアンリ3世が暗殺。
1589年:アンリ3世が新教徒ジャック・クレマン(Jacques Clement)によって暗殺。ヴァロア朝断絶。
同年、ブルボン家のナヴァル王アンリが即位しアンリ4世(位1589-1610)となる。

同盟戦争(The Wars of the League;1589-1598)
カトリック側はカトリックに改宗したとしてもアンリ4世の即位を認めず戦闘続行。
1589年:アンリ4世がカトリック同盟軍を破る。
1593年:アンリ4世、新旧宥和のためにカトリックに改宗。
1598年:「ナントの勅令」でユグノーの信仰の自由を認める。