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年表
神の休戦

[英仏100年戦争(1)]
前哨戦
 1333年:「ハリダン・ヒルの戦い」でスコットランド王国軍がイングランド王国軍に敗北。
 1334年:イングランド王エドワード3世(1327-77)がエドワード・ベイリアルをスコットランド王として擁立。
 1336年:スコットランド王デヴィッド2世がフランスへ亡命。これを受けてイングランド王エドワード3世は羊毛のフランドル輸出を禁止。フランドル伯ルイはフランス王フィリップ6世の封臣。
 主力産業である毛織物の原材料の羊毛の輸入が停止したフランドル地方では商工業者の不満が渦巻く。
 その中で、ヘントのジャック・ファン・アルテフェルデらが蜂起しブリュッフェ、イープルを巻き込み遂には領主のフランドル伯を追放(1337)。
 1337年:フランス王フィリップ6世、イングランド王エドワード3世が領有していたアキテーヌ公領を没収宣言。これに対して、母イザベルがフィリップ4世の娘であエドワード3世はフランス王フィリップ6世に対する臣下の礼を撤回し自らが正統なフランス王であることを宣言。

100年戦争開始
 1337年:エドワード3世によるウェストミンスター宣言により英仏百年戦争が開始される。
 1338年:イングランド王国軍、フランドル上陸。これに対してフィリップ6世は正面から戦端を開かずイングランド南岸を波状攻撃しエドワード3世自身のフランス上陸を阻止。
 1340年:イングランド王国軍とフランス王国軍がブリュッフェの外港エクリューズで激突(「エクリューズの海戦」)。イングランド王国軍は「エクリューズの海戦」では勝利しエドワード3世は上陸に成功。しかし、「サン・トメールの戦い」、「トゥールネの戦い」で敗れ軍費枯渇によってフィリップ6世との間で「エスプルシャン休戦協定」を締結。
 この時点でフランドルの民衆蜂起は下火になり、亡命していたスコットランド王デヴィッド2世はフランスの力によって帰国。

ブルターニュ継承戦争
 1341年:ブルターニュ公ジャン3世が子供を残さず死去。
 前公異母弟モンフォール伯ジャンとフランス王フィリップ6世の甥のブロワ伯と結婚していた前公姪パンティエーヴル女伯ジャンヌが公位継承権を主張。ジャンヌがフィリップ6世を頼ったためにジャンはイングランド王エドワード3世を頼る。
 モンフォール伯はブルターニュの首都ナントを攻略。フィリップ6世長子ノルマンディ公ジャンを派遣しナントを奪還。しかし、ブロワ伯はブレストで敗れヴァンヌでエドワード3世に包囲。ローマ法皇クレメンス6世の仲介で「マレストロワ休戦協定(1343)」を締結。
 これによって、エドワード3世は旧来からのアキテーヌに加えてフランドル、ブルターニュを支配下に組み入れる。

 1346年:エドワード3世、ノルマンディ再上陸。「クレイシーの戦い」でフランス王国軍敗北。
 1347年:「ラ・ロシュ・デリアンの戦い」でブロワ伯敗れる。続いてカレーが陥落。
 1356年:「ポワティエの戦い」でエドワード黒太子がフランス王ジャン2世を捕虜に。
 1357年:「ボルドー休戦協定」

 1360年:「カレー条約」締結。エドワード3世はフランス王位を要求しない代わりにアキテーヌの割譲を受ける。エドワード黒太子がアキテーヌ大公に(1362)。

 1364年:「オーレの戦い」でモンフォール伯がブロワ伯を下す(ブロワ伯シャルル戦没)。翌年、「ゲランド条約」によってジャン・ドゥ・モンフォールがブルターニュ公ジャン4世となりブルターニュ継承戦争が終結。

シャルル5世の再征服
 1366年:カスティーリャ王国から王兄エンリケ・デ・トラスタマラがフランスに亡命。シャルル5世は傭兵隊長ベルトラン・デュ・ゲクランにカスティーリャ遠征を命じる。ほどなくエンリケはカスティーリャ王エンリケ2世として即位。カスティーリャ王ペドロ1世(残酷王)はアキテーヌ大公領に亡命し黒太子の庇護下に(「リブルヌ条約」)。
 1367年:フランス・エンリケ軍が「ナヘラの戦い」でイングランド・ペドロ軍に敗北。
 1368年:エドワード黒太子によるカスティーリャ遠征課税にアルマニャック伯、アルブレ卿離反。
 1369年:シャルル5世が黒太子にパリ出頭命令。これに対してエドワード3世が宣戦布告。シャルル5世はアキテーヌ大公領を没収宣言。
 1370年:「ポンヴァヤンの戦い」でデュ・ゲクラン率いるフランス王国軍がイングランド王国軍を下す。アキテーヌ大公領はフランス側に侵食され、「ラ・ロシェ沖の戦い(1372)」でイングランド海軍が大敗したことで帰趨が決する。ブルターニュ公ジャン4世がイングランドに亡命し、デュ・ゲクランはブルターニュ全土を制圧。
 1375年:「ブリュッフェ休戦協定」締結。

[フランス王家]


[イングランド王家]