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神の休戦

[十字軍 Crusades]
契機
 セルジューク朝トルコによる小アジア占領。危機に直面したビザンティン帝国皇帝アレクシウス1世が西欧世界に救援を求めた。
 1095年:「クレルモン公会議」でウルバヌス2世(Urbanus II)が十字軍組織を呼びかけ。
 1096-97年:アミアンの聖者ピエールは公会議の議場から民衆を率いて出発。組織化されていない集団であったためにセルジューク軍の敵ではなかった。

第1回から第7回まで
 第1回(1096-99):ロレーヌ公ゴドフロア=ド=ブィヨン、フランドル伯ロベールらに率いられたフランス諸侯中心の軍勢が聖地イェルサレムを奪還。イェルサレム王国(1096-1187)を建国。当初は十字軍による占領地はビザンティン帝国領となる取り決めだった。しかし、これを破って、十字軍参加者がイェルサレムに独自の王国を樹立。このイェルサレム王国ではイスラム教も容認されていたが、1187年にエジプトのサラディンによって滅ぼされる。
 この第1回十字軍でヨハネ騎士団(Johanniterorden)が成立しロードス島、後にはマルタ島に本拠地を移しマルタ騎士団に発展。

 第2回(1147-49):セルジューク朝の勢力が盛り返してきたために神聖ローマ皇帝コンラッド3世、フランス王ルイ7世により敢行。失敗に終わる。

 第3回(1189-92):クルド族出身のサラディン(Saladin;1138-93)が打ち立てたスンナ派イスラム王朝エジプト・アイユーブ朝(Ayyub;1169-1250)がエジプト・ファーティマ朝を滅ぼし(1171)、第1回十字軍が建国したイェルサレム王国をも滅ぼした(1187)ことを契機として、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世、フランス王フィリップ2世、イングランド王リチャード1世が参加。フリードリヒ1世の薨去により英仏間の反目が高まり、フィリップ2世は軍勢を引き上げ、リチャード1世が単独でサラディンと講和。
 この第3回十字軍でドイツ騎士団(Deutscher Orden)が1190年にシリアのアッコン(Akkon)に創設され、後に東エルベ殖民を行いプロイセン王国の基礎を築く。

 第4回(1202-04):英独仏の王を破門し絶頂期にあったローマ法皇インノケンティウス3世(Innocentius III;在1198-1216)が提唱しヴェネチア共和国が主導権を握って推進。軍はフランドル伯ボードゥアン、ヴェネチア共和国統領エンリコ=ダントロが率いた。エジプトを攻撃するはずが、商業目的のためにビザンティン帝国のコンスタンティノープルを攻撃し占領。ヴェネチア市の殖民国家ラテン帝国(Latin;1204-61)を建国。ラテン帝国はパラエオロゴス朝ビザンティン帝国皇帝ミカエル8世(在1261-82)によって滅ぼされた。

 アルビジョワ十字軍(1209-29):フランス王軍によって南仏アルビ地方のカタリ派(Cathari)系アルビジョワ派(Albigeois)キリスト教異端派連合軍を討伐。カタリ派はマニ教の影響を受けたキリスト教。

 少年十字軍(Children Crusades;1212):フランスのエティエンヌ少年とケルンのニコラス青年の同時多発的狂信的行動によって自然発生。難破や奴隷化によって自然消滅。

 第5回(1228-29):神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世がローマ法皇からの破門で強要され組織。一時的にイェルサレムを占領したに留まる。

 第6回(1248-54):フランス王ルイ9世(Saint Louis;在1226-70)が組織しアイユーブ朝の本拠地エジプトを海から攻撃するも王が捕虜となったことで終結。

 第7回(1270):最後の十字軍。フランス王ルイ9世がマムルーク朝支配下のチュニスを海から攻撃。ルイ9世が陣中で病没したことで終結。