[[歴史年表]]
**1190年代
***1193(建久4)年
-1月
--28日 京都守護一条能保が従二位に叙せられる 
-2月
--9日 畠山重保が武蔵七党の児玉党の内紛を収拾 
--平 時定が京都にて逝去
-4月
--奈良の東大寺に備前国から、京都の東寺に播磨国から造営費を支出する 
-5月
--8日 源 頼朝(鎌倉殿)が富士野で狩りを催す 
--16日 梶原景高が源 頼家の鹿狩りを北条政子に報告 
--28日 曾我兄弟が工藤祐経を討つ。この時、富士野は混乱し鎌倉殿落命の誤報も飛ぶ。鎌倉で留守を守っていた範頼が北条政子に自分がいるから心配しないようにとの言。後に、この言葉が禍いをもたらす 
-7月
--幕府が宋銭の流通を停止する 
-8月
--17日 鎌倉殿が弟の範頼を謀反の疑い有りとして伊豆に追放し誅する 
-9月
--畿内の御家人に宣陽門院の警護を命じる 
-10月
--比叡山延暦寺衆徒と争って解任されていた佐々木定綱を再び近江守護とする 
-11月
--鎌倉殿が源家一門の安田義定の所領を没収する。同月、同じく源家一門の安田義資を誅する
--鎌倉殿が源家一門の安田義定の所領を没収する。
--同じく源家一門の安田義資を誅する
***1194(建久5)年
-1月
--29日 北条政子が伊豆山権現、箱根山権現奉幣に鎌倉を出発 
-2月
--北条時政の孫の金剛(北条泰時)の元服に際して、鎌倉殿が烏帽子親となる 
-4月
--梶原景時を奉行として鎌倉の路を修復させる 
-6月
--鎌倉殿が東大寺戒壇院の造営費を課す 
-7月
--比叡山延暦寺が栄西らの禅宗の禁止を幕府に要請 
-8月
--鎌倉殿が源家一門の安田義定を誅する | 鎌倉殿の娘で故木曾義高の許婚の大姫が一条高能との婚姻を拒絶する 
--鎌倉殿が源家一門の安田義定を誅する 
--鎌倉殿の娘で故木曾義高の許婚の大姫が一条高能との婚姻を拒絶する 
-閏8月
--1日 鎌倉殿一家が一条高能と三浦で楽しいひと時を過ごす | 7日 源家一門の故安田義定の邸宅を北条義時に与える 
--1日 鎌倉殿一家が一条高能と三浦で楽しいひと時を過ごす 
--7日 源家一門の故安田義定の邸宅を北条義時に与える 
-9月
--奈良の興福寺の供養の式典に関白九条兼実が臨席する 
-10月
--鎌倉殿が征夷大将軍の職を返上

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