[[ルーツ]]>[[奥州戦国大名家]]
*蠣崎(松前)家
**事蹟
|100|50|400|c
|武田信広|1441&br;嘉吉元|安東政季が居城十三湊福島城を南部家に奪われ北海道に渡る。この際、若狭から佐々木・工藤らの家臣を引き連れた武田信広も安東政季に与同。|
|~|1456&br;康正2|蝦夷管領安東政季が分家である湊安東家を頼って北海道を後にする。北海道を離れる際、政季の弟・下国家政を下之国守護職、同副将に河野政通、松前之守護職に下国定季、同副将に相原政胤、上之国守護職に蠣崎季繁を任じる(但し、初代藩主松の七男松前景広『新羅之記録』によると上之国守護職は武田信広)。|
|~|1457&br;長禄元|「コシャマインの乱」を武田信広が鎮圧。これにより、嫡子の居なかった蠣崎家を継ぎ上之国守護職を得る。|
|蠣崎光広|1513&br;永正10|先年、松前之守護職下国定季の死後、守護職を承継していた定季の子・山城守恒季が悪政のために安東家によって討伐され、副将相原相原政胤の子・季胤が守護職を承継。この相原季胤をアイヌが攻撃したことを装って打ち滅ぼす。安東家は蝦夷三守護職を包括する判形を与えて追認。|
|~|1513&br;永正16|蠣崎光広没。光広嫡男の義広が家督承継。|
|蠣崎義広|1525&br;大永5|東部・西部でアイヌが蜂起。松前と上ノ国天河に和人封じ込められる。|
|~|1529&br;享禄2|アイヌが蜂起。蠣崎義広が一時上ノ国にて包囲される(「タナサカシの戦い」)。|
|~|1531&br;享禄4|アイヌが蜂起し、蠣崎家本拠地大館を攻撃。|
|~|1536&br;天文5|タナサカシの娘婿タリコナが蜂起(「タリコナの戦い」)。タリコナを蠣崎義広が謀殺。|
|~|1545&br;天文14|蠣崎義広没す。|
|蠣崎季広|1551&br;天文20|瀬田内首長ハシタインを上之国天河郡内で「西夷の尹」とし、知内首長チコモタインを「東夷の尹」とし、アイヌ交易船に対する法度を制定し、アイヌ側と講和。この講和は蝦夷管領安東舜季を担いで行われた。|

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