[[名字一覧]]
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| http://www.digistats.net/image/2008/11/bekkou_t.gif |池永家|豊前下毛郡池永を発祥の地とする家。&br;戦国大名大友家に仕えた。&br;家紋は「亀甲に蔦」。|
| &ref(http://www.digistats.net/image/2008/09/eiraku.gif,150x150); |仙石家|仙石家の家紋は永楽銭。仙石家は清和源氏頼光流(土岐支流)の名門。そう、本能寺の変で織田信長を斃した明智光秀と同じ一族ということになる。織田信長の義父は斎藤道三は土岐家を滅ぼして美濃を自分のものとした。&br;それはともかく、豊臣秀吉に仕えて戦国大名となった仙石秀久の父の久盛は名門仙石家の養子となって仙石家を継いだ。&br;秀久は、1585(天正13)年に四国征伐の功によって讃岐高松10万石の大名となる。しかし、翌年、島津家から大友家を守る別次川の戦い大敗北。無断で高松に逃げ帰り改易。&br;豊臣秀吉による小田原の後北条家征伐に際して戦功を挙げ信濃国佐久郡小諸城主5万石として返り咲いた。&br;浮沈のあった仙石家は、秀久のあとを三男の忠政が継ぎ、1706(宝永3)年、政明の代に但馬出石藩に移って明治維新を迎えた。|
| &ref(http://www.digistats.net/image/2008/09/mari.gif,150x150); |田丸家|伊勢の大名北畠氏の流れを汲む戦国大名田丸家の紋は八段の鞠挟み。田丸家は『寛政重修諸家譜』に「北畠大納言言材親が三男中将伊勢国田丸城に住して田丸を称号とす」とある。本家の北畠家が滅びると田丸直昌は織田信長に属し、蒲生氏郷の与力となった。1582年6月21日(天正10年6月2日)の[[本能寺の変:http://www.digistats.net/z/index.php?%BF%AE%C4%B9%B8%F8%C9%C0]]の後、豊臣秀吉によって信州川中島の海津城4万石の城主となった。秀吉死後には[[美濃岩村城主:http://www.digistats.net/z/index.php?%B4%E4%C2%BC%BE%EB%D4%AE]]となるも、徳川家康による会津征伐の小山の評定で西軍に就き岩村城を失った。子の直茂は前田利長に仕え、子孫は幕臣に取り立てられた。|
| http://www.digistats.net/image/2008/09/taka.gif |座光寺家|交代寄合座光寺伊那介家の丸に違鷹羽左重紋。座光寺家は信濃源氏。慶長6年に信濃国伊那に1,000石を領した。江戸での屋敷は牛込山伏町。|
| http://www.digistats.net/image/2008/09/y_hana.gif |竜造寺家|日(太陽)の国、肥前の戦国大名隆造寺家の紋。十二日足。|
| http://www.digistats.net/image/2008/09/ryuz.gif |柳沢家|第五代将軍徳川綱吉の側用人であった柳沢吉保。柳沢家は甲斐源氏武田家の武川衆に属していた。その柳沢家が用いた紋。柳沢花菱。|
| http://www.digistats.net/image/2008/09/amako.gif |尼子家|戦国時代の中国地方で大内氏や毛利氏と覇を競った尼子氏。尼子氏は鎌倉幕府を足利尊氏とともに倒したバサラ大名佐々木道誉の佐々木氏の流れを汲むので四つ目結を用いる。平四つ目結。|
| &ref(http://www.digistats.net/image/2008/09/miz.gif,150x150); |溝口家|越後新発田藩主の溝口家の溝口菱。甲斐武田氏から出た逸見氏の流れを汲む。尾張国中島郡溝口に移り、織田家の家臣丹羽長秀に仕えた溝口家の紋は掻摺菱とも言われ松皮菱のバリエーションの一つ。|
| http://www.digistats.net/image/2008/09/hgk.gif |青山家|旗本青山備前守家の紋。青山備前守家は三河国出身で藤原氏の流れを汲む。初代青山幸通は摂津尼崎藩主青山幸成の次男で摂津川辺、武庫、下総香取、海上に5,500石を領した。|




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