[[建築史1]]
**仏教建築
***奈良飛鳥時代の構成
-塔・金堂と僧房などの諸院
-食堂・大衆院
-浴室院
-政所院
-倉垣(そうえん)院
-苑院
-花苑院
-賤院
***伽藍配置形式
-四天王寺式:中門・塔・金堂・講堂を中心線上に並べ、回廊は中門から講堂を結び塔と金堂を囲む
--飛鳥寺式:四天王寺式の塔の左右にも金堂(東西金堂)を配置。
--薬師寺式:四天王寺式の塔が二基となったもの。
--川原寺式:四天王寺式の金堂の配置が塔の西になる形式。
-法隆寺式:塔と金堂が左右に並び、その前にある中門から延びた回廊が両者を囲む。講堂は回廊の背後にある。
再建法隆寺と高麗寺が典型例。
法隆寺西院は左右に塔と金堂を配したバランスをとるため、塔を中央に寄せ、金堂を外側にずらした。このため、金堂のある側の回廊を11間、塔のある側の回廊を10間とし視覚的な補正を行っている。
日本建築には釘が一本も使われていないという俗説がある。しかし、法隆寺金堂でも釘は使われている。但し、日本の伝統的木造建築では柱や梁といった主要構造部材の接合部には金物ではなく継手・仕口を用いられた。接合部材に金物が用いられるようになるのは近代以降。
-東大寺式・興福寺式:塔が回廊の外に配置される形式。
***基壇
-基壇:仏教とともに伝えられた基礎の技法。基壇の上部に礎石を据えて柱を立てた。仏教寺院跡では基壇と礎石が発掘される。通常は山田寺のように部材までは出土しない。しかし、基壇の大きさから「軒の出(屋根の大きさ)」を推測することが出来る。すなわち、建物の部材を痛めないため、軒から滴る雨水を基壇では受け止めないからである。
--版築:古代の基壇の工法。砂利、砂、粘土を突き固めた。
--壇上積:版築の周囲に切石を張ったもの。
--石垣積:版築の周囲に加工した自然石を積むもの。
--乱積:版築の周囲に野石を不規則に積んだもの。
--布敷:基壇の上面に建物と同じ方向で瓦や石を敷き詰めたもの。古代ではもっぱらこの形式。
--四半敷:基壇の上面に瓦や石を斜めに敷き詰めたもの。鎌倉時代以降。
***瓦の形式
瓦は仏教伝来とともに日本に伝えられた。
-本瓦葺→全体の重要大
--平瓦:下に凸となった局面で構成
--丸瓦:平瓦の継ぎ目に置かれる瓦
-浅瓦葺→江戸時代中期に登場。全体がS型で平瓦と平瓦が一体化。
**奈良時代の遺構
-唐招提寺金堂・講堂
-法隆寺夢殿・伝法堂
 伝法堂は奈良時代の貴族の住宅が施入されたもの。礎石立ちとなった柱を支えるように、柱を両側から挟み込み柱を貫いて配される「長押(なげし)」が用いられている。
時代が下って鎌倉時代になると、「貫(ぬき)」が用いられるようになった。
-東大寺法華堂
-新薬師寺本堂:8世紀に建立された新薬師寺本堂は「もや」・「ひさし」の単純構成。「もや」は建物中央の主体部分のことであり、「ひさし」は「もや」の屋根を延長して延ばした部分を意味していた。しかし、現代では「もや」は敷地内に複数の建物がある場合の最大の建物を、「ひさし」は壁面から突き出した小型の屋根を意味するようになっている。
-西大寺:奈良時代最期の仏教建築



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