*徳永家 -藤原北家頼通流&br; 関白頼通の4代の子孫・少納言家隆の子である美作権守昌隆の末裔・式部律師興昌が近江神崎郡徳永村に定住し徳永を称したと伝わる。 **美濃高須藩 5万石 |40|100|180|300|c ||藩主|官位・通称|出自| |初代|徳永寿昌 Nagamasa|石見守|美濃高松城主徳永昌利の子。&br;柴田勝豊に仕えるも、賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉(豊臣秀吉)と通じ、勝豊死去後は豊臣秀吉の家臣となる。&br;関が原の戦いでは西軍の高須城1万石の城主高木盛兼を攻め落とした。| |2代|徳永昌重 Masashige|従五位下 左馬介|徳永寿昌の長男。&br;1628(寛永5)年、大坂城石垣普請助役工事の遅延を理由に改易。長男昌勝の子孫は旗本として存続。|