- 追加された行はこの色です。
- 削除された行はこの色です。
- 桑名城址 へ行く。
[[城館廻り]]
*桑名城址
**桑名城址
CENTER:
http://www.digistats.net/image/2008/11/kuwana.jpg
~現在は九華公園として整備されている地が桑名城の跡地。東と北に木曽三川の揖斐川が流れ天然の要害となっている。戦国時代、桑名三城と呼ばれる伊藤武左衛門の東城、樋口内蔵の西城、矢部右馬允の三崎城が桑名の地にあった。この内、1513(永正10)年に伊藤武左衛門が築城した東城が桑名城の原型とされる。
関が原の戦いの後、1601(慶長6)年に徳川四天王の一人[[本多忠勝:http://www.digistats.net/z/index.php?%CB%DC%C2%BF%B2%C8%28%C3%E9%BE%A1%B7%CF%29]]が初代桑名藩主として桑名に入ると、町割りと築城を開始。3年後には本丸・二ノ丸・三ノ丸・新城・内堀を完成させた。当時の桑名城には4層6重の天守閣、51基の櫓、46基の多聞櫓があったという。この築城には井伊直政も加わったという。
1617(元和3)年、松平(久松)隠岐守定勝が桑名藩主となると吉ノ丸を、1635(寛永12)年に松平(久松)越中守定綱が桑名藩主となると外朝日丸・外堀・元赤須賀・伊賀町・八幡町・新屋敷などを整えた。なお、4層6重の天守閣は残念ながら1701(元禄14)年の火災によって延焼し現在は天守台のみとなっている。
幕末の戊辰戦争では無血開城。官軍によって辰巳櫓が焼き払われた。更に、1875(明治8)年に城郭は取り壊され、1928(昭和3)年に本丸・二ノ丸一帯が九華公園として整備された。
2008年9月訪問。