[[福島県]]
**蒲生氏郷墓所
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http://www.digistats.net/image/2009/12/ujisato.jpg
~会津というと幕末、戊辰戦争のイメージが強い。
~そのため、松平家の城下町という印象がある。江戸時代を通じて松平家が藩主を務めていたのであるから、それは全く間違いなどではない。
~しかし、会津の街並みや[[会津若松城]]の設計に着手したのは近江から移ってきた蒲生氏郷である。時代は豊臣秀吉による奥州征伐の直後。豊臣秀吉に信頼されての登用である。
~蒲生氏郷は近江日野、伊勢松阪を経て黒川と呼ばれていた会津若松の地を統治した。近江日野は近江商人の地であり、[[伊勢松阪>三重県]]は伊勢商人の地として知られる。
~蒲生氏郷は近江日野、[[伊勢松阪>三重県]]を経て黒川と呼ばれていた会津若松の地を統治した。近江日野は近江商人の地であり、[[伊勢松阪>三重県]]は伊勢商人の地として知られる。
~そして、奥州の会津の地に、蒲生氏郷は七層の天守閣を築き、城下町を整備した。若松という名も蒲生氏郷の故郷である日野の森の名に由来する。
~豊臣秀吉にも、その最大のライバルである徳川家康にも厚い信頼を得ていた蒲生氏郷が少し長く生きていれば会津はどのような町になっていたろうか。想像してみるのも一興。
~しかし、惜しむべきかな。蒲生氏郷は1595(文禄4)年に急逝する。41歳の若さだった。
~会津若松市中の興徳寺に遺髪を納めた五輪の塔が氏郷の確かな痕跡となっている。

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