[[埼玉の城館]] **毛呂氏 藤原北家長良流 ***平安時代末期 -太宰権帥藤原季仲が常陸国に配流。 -季仲の子・周防前司季清が武蔵国毛呂郷に居住し毛呂冠者を名乗る。 ***1189年 文治5年 -季清の子・毛呂太郎季光が源頼朝による奥州合戦に参陣。 --源氏一門に準じ、豊後守に補任される。 --毛呂郷の地頭職を安堵される。 ***1193年 建久4年 -季光の子季綱が比企郡の泉・勝田の地を賜る。 ***1504年 永正元年 -毛呂顕繁(顕重)は山内上杉氏に属し、立河合戦に出陣する。 ***1520年 大永4年 -北条氏綱が扇谷上杉朝興から江戸城を奪うと、毛呂顕繁は扇谷上杉家を去り、小田原北条氏に付く。 -毛呂顕繁の離反に激怒した上杉朝興は鉢形城から毛呂山城攻めに出陣。しかし、北条氏綱が江戸城から救援に出ると上杉朝興は撤兵。 ***1590年 天正18年 -小田原北条氏が豊臣秀吉の攻撃を受けると、毛呂土佐守秋重は八王子城に籠城し、一族とともに討死。 --毛呂土佐守秋重の後裔は徳川家旗本として存続。 --毛呂土佐守秋重の弟秋綱の流れも大谷木氏と改め徳川家旗本として存続。