ルーツ奥州戦国大名家

南部家

事蹟

南部光行1180
治承4
石橋山の戦いにおける戦功によって甲斐南部牧を得る。光行は加賀美遠光と和田義盛の娘との間の子であったが、南部牧に所領を得たことにより南部を名乗った。
1189
文治5
源頼朝による奥州征伐の戦功により、陸奥国糠部郡を得る。自身は陸奥に下向することは無かったが、三戸城を築城した。
南部茂時1333鎌倉において北条一族とともに自刃。
南部政行南北朝時代南部一族は南朝方に就き北畠顕成を擁し、津軽の曽我を討つ。しかし、八戸政長の説得により北朝に転じる。
南部守行1411
応永18
陸奥国司任じられる。宗家である三戸南部家は守行の代に足利将軍家の命によって奥州に下向したとも言われる。
南部安信室町時代南部家の所領を拡大し地歩を固める。
南部信直-相続争いで九戸政実を抑え、奥羽の名門・斯波家を滅ぼし南部家の家名を高める。その一方で、津軽家の独立を防げず。
天正18豊臣秀吉による小田原征伐に参陣。所領を安堵される。
天正19『九戸政実の乱』
九戸政実が、葛西・大崎一揆に乗じて、九戸城(福岡)にて挙兵。信直は豊臣秀吉に救援を求める。秀吉は奥州仕置軍として蒲生氏郷・浅野長政を派遣し討伐。
信直は、九戸政実討伐に続いて、戸沢・雫石・川村・斯波・稗貫・和賀・阿曽沼を討つ。

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