代数 | 在位期間 | 将軍 |
初代 | 1338〜1358 | 足利尊氏(高氏) 足利尊氏産湯の井戸 足利尊氏夫妻と母の墓 足利尊氏ゆかりの安国寺 |
2代 | 1358〜1367 | 足利義詮 幕府の安定につくし、細川頼之に義満をたくして病死。 |
3代 | 1368〜1394 | 足利義満 南北朝合一に成功、室町幕府と将軍権力確立。対外的に日本国王と称し、足利天皇の実現を目指すも急死。 |
4代 | 1394〜1423 | 足利 義持 有力守護大名の台頭を許す。室町幕府の安定期。後継者を定めずに病死。 |
5代 | 1423〜1425 | 足利 義量 父の義持が実際の執政をなしたために影の薄い将軍。若くして病死した後は義持が幕政を直接みた。 |
6代 | 1429〜1441 | 足利 義教 足利義満の子。義持が後継者を定めずに亡くなったために、義持の弟の青蓮院義円、相国寺永隆、大覚寺義昭、梶井義承の中からくじ引きで将軍となった。赤松邸で暗殺され、以降、幕府と将軍の権威の失墜が始まる。 |
7代 | 1442〜1443 | 足利 義勝 父の死後、幼少ながら即位、管領細川持之が補佐。即位後、間もなく赤痢で死亡。父の義教の犠牲となった足利持氏、一色義貫、赤松満祐の怨霊の仕業と噂された。 |
8代 | 1449〜1473 | 足利 義政 兄の後を継いで8歳で即位。畠山持国、細川勝元が政治を行う。応仁の乱によって幕府の力が畿内ににしか及ばなくなるも、東山文化を生み出すなど文化的に貢献。 |
9代 | 1473〜1489 | 足利 義尚 幕府権力の回復を目指して、近江守護六角高頼討伐のために近江に出陣するも陣没。 |
10代 | 1490〜1493 | 足利 義材 父は応仁の乱で将軍位を争った足利義視。その後、一旦は美濃に逃れるも、将軍義尚と和睦し将軍の近江親征に従軍。流れ公方と言われ、河内出陣中に細川政元のクーデターで追放。復権の後に、細川高国と対立し淡路へ出奔。 |
11代 | 1494〜1508 | 足利 義澄 細川政元のクーデターによって擁立。しかし、大内義興と細川高国によって前将軍義稙が復権したため、近江へ逃れ復帰を目指すも近江岡山で薨去。 |
復位 | 1508〜1521 | 足利 義稙(義材) |
12代 | 1521〜1546 | 足利 義晴 細川管領家の内紛、さらには細川晴元と三好長慶との争いに翻弄された。 |
13代 | 1546〜1565 | 足利 義輝 三好長逸、三好政康、石成友通の三好三人衆、松永久秀に二条御所を急襲され非業の死。 |
14代 | 1568 | 足利 義栄 11代義澄の子で堺公方義維の子として阿波で生まれる。三好三人衆によって擁立。しかし、三好三人衆と松永久秀が対立していたこと、義輝の弟で松永久秀の監視下に置かれていた興福寺一条院覚慶(後の義昭)が近江へ逃亡したこともあって、京へは入洛することは叶わなかった。 |
15代 | 1568〜1573 | 足利 義昭 織田信長と対立して京都を追放。 |