伊達家

伊達家(一関藩主家)

陸奥一関藩 分知3万石

当主官位・通称出自
初代伊達宗勝 Munekatsu従五位下 兵部少輔仙台藩主伊達政宗十一男。
異母兄・2代仙台藩主忠宗の子の綱宗が仙台藩主となると綱宗の庶兄田村右京大夫とともに藩政を支える。しかし、綱宗がその行跡によって隠居を命じられ、その子の伊達綱村が仙台藩主となると、後見人として3万石を分知される。
1671年、第4代将軍・徳川家綱の大老で養女を嫡子宗興の正室として迎えていた酒井忠清と結託し仙台藩分割を計画した『伊達騒動(寛文事件)』が発覚。幕命によって、土佐国に流罪。嫡子宗興も小倉に流罪となって一関藩は廃藩となる。
(2代)伊達宗興 Muneoki東市正母は立花宗茂の養女。正室は姉小路公景の娘、酒井忠清の養女。
なお、伊予吉田藩(伊達家)は伊達宗勝が奔走し宇和島藩(伊達家)からの分知を実現させたという経緯から正室を始めとする親族は伊予吉田藩が願い出て預かった。
(3代)伊達千之助 Sennosuke-伊達宗興の長男。母は姉小路公景の娘、酒井忠清の養女。伊予吉田藩預かりの後に赦免されるも仙台へは帰らず。

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