鞆の浦の愛の証の橋。
今は道に埋もれてしまっている橋。愛が無ければ、とうの昔に橋は無くなっていただろう。
応神天皇(270-310)の時代に、百済使節団の接待役であった武内和多利と官妓・江の浦が毎夜ここで愛を語り合ったという。
国にとって大事が進行中に愛を囁きあうなどもっての他ということで2人は海に沈められた。
特定の誰かが密告したのではなく、鞆の浦中の噂になって発覚したというのだから、一層に悲しい。
2人とて十分に危険なことを知りつつも、愛を抑えることが出来なかったに違いない。
囁きあうだけだったのだから、周囲の人間もそっと見守ってあげれば良かったものを。