当主 | 官位・通称 | 出自 | 生没年 | |
初代 | 上杉重房 | 修理大夫 左衛門督 | 左衛門尉勧修寺清房(藤原北家高藤流)の次男。 宗尊親王が鎌倉幕府第6代征夷大将軍就任時に鎌倉に下向。 御家人足利泰氏に仕官。 | -1252- |
2代 | 上杉頼重 | 大膳大夫 掃部頭 承安門院蔵人 | 上杉重房の子。足利家宰。 | |
3代 | 上杉憲房 | 兵庫頭 蔵人 上野守護 | 上杉頼重の子。上杉清子(足利尊氏の母)、加賀局(上杉重能の母)の兄弟。 | -1336 足利尊氏を九州に逃がす際に戦死。 |
3代 | 上杉憲顕 | 第2代関東管領 | 上杉憲房の子。足利尊氏・直義とは従兄弟。 | 1306-1368 |
4代 | 上杉憲方 | 第8代関東管領。 小山義政の反乱(1382)鎮圧の功績により、上野、武蔵、伊豆、安房、下野守護。 | 上杉憲顕の子。 | 1335-1394 |
5代 | 上杉憲定 | 第11代関東管領。安房守 右京亮 | 上杉憲方の子。 鎌倉公方足利満兼、足利持氏を輔佐。 | 1375-1413 |
6代 | 上杉憲基 | 関東管領 | 上杉憲定の子。佐竹義人の兄。 鎌倉公方足利持氏を輔佐。 上杉氏憲(禅秀)の乱(1416-17)に一時敗れ鎌倉を後にした。後、将軍足利義持と今川家によって鎌倉に復帰。 | 1392-1418 |
7代 | 上杉憲実 | 第14代関東管領。上野、伊豆守護 | 山内上杉氏出身で越後上杉氏に入った越後守護上杉房方の三男。 鎌倉公方足利持氏による永享の乱(1439)と結城合戦を鎮圧後、山口大内家のもとで隠棲。 | 1410-1466 |
8代 | 上杉憲忠 | 第16代関東管領。右京亮 | 上杉憲実の長男。 鎌倉公方足利成氏の命を受けた結城氏家臣多賀谷高経に暗殺される(享徳の乱の勃発)。 | 1433-1455 |
9代 | 上杉房顕 | 第17代関東管領。兵部少輔 | 上杉憲実の子で、上杉憲忠の弟。 上野国平井城を拠点に古河公方足利成氏と争う。 | 1435-1466 |
10代 | 上杉顕定 | 第18代関東管領。 | 武蔵五十子で散った房顕の養子として、将軍足利義政が越後の上杉房定の子を指名。 家臣の長尾景春が叛乱し、扇谷上杉家宰太田道潅の力で撃退(1476)。 古河公方と和解。太田道潅亡き後の扇谷上杉家と抗争(長享の乱[1482-])。 扇谷上杉朝良・今川氏親・伊勢宗瑞(北条早雲)連合軍に立河原の戦いで敗れるも河越城で扇谷上杉朝良を敗る。 弟で越後守護の上杉房能が守護代長尾為景(謙信の父)と越後上杉定実の軍に敗死された報復に越後に侵攻。反攻に遭い自刃。 | 1454-1510 |
11代 | 上杉顕実 | 第19代関東管領。民部大輔 | 古河公方足利成氏の子。関東管領上杉顕定の養子。 同じく養子の憲房と関東を二分。顕実は古河公方足利政氏を、憲房は政氏の子の足利高基を旗頭とした。鉢形城に拠った顕実には長尾顕方や成田顕泰が与同した。 | -1515 |
12代 | 上杉憲房 | 第20代関東管領。兵庫頭 | 上杉憲実の子周晟の子。関東管領上杉顕定の養子。 同じく養子の顕実と争い、横瀬景繁・長尾景長の助力で顕実を追放。 | 1467-1525 |
13代 | 上杉憲寛 | 第21代関東管領。 | 古河公方足利高基と宇都宮成綱の娘・瑞雲院の子。関東管領上杉憲房の養子。 1531年、憲房と対立し上総宮原に逃亡。 | -1551 |
14代 | 上杉憲政 | 第22代関東管領。兵部少輔 | 上杉憲房の子。 1531年、中継ぎとして立てられていた憲寛を追放して山内上杉家の家督を承継。 1546年、古河公方足利晴氏(高基の子)・扇谷上杉朝定とともに、北条綱成の河越城を攻めるも援軍の北条氏康に大敗(河越夜戦)。 信濃遠征で武田晴信と戦うも敗れ、居城の上野平井城から越後の長尾景虎のもとに逃れた。 | 1523-1579 |
15代 | 上杉政虎 | 第23代関東管領。 | 上杉憲政から家督を承継。 |