長尾城址
白井長尾氏
1252 建長4年
- 鎌倉幕府6代将軍・宗尊親王の鎌倉下向に従った上杉重房に付き従って長尾景熈が鎌倉入り。
- 長尾景忠が長尾景熈の養子となる。
- 長尾景熈は長尾氏などの鎌倉党と三浦氏の祖である平忠通の子孫のうち京都に留まった系統という。
1256年 康元元年
長尾景熈が鎌倉幕府執権・北条時頼から白井庄を賜わる。
- 但し、鎌倉時代には、上野国白井は白井河内守常忠という鎌倉御家人が本拠地としていた。
- 景忠の孫のとき、長尾家は白井の白井長尾家と総社の総社長尾家とに分かれ、両家で山内上杉家家宰職と上野守護代と交互に勤めるようになる。
1416年 応永23年
- 上杉禅秀の乱で長尾家宗家で山内上杉憲定の家宰・鎌倉長尾満景が討死。
- 満景の甥房景の子・白井長尾景仲が山内上杉家の家宰職を承継。
1438年 永享10年
鎌倉公方・足利持氏と関東管領・山内上杉憲実との関係が悪化。山内上杉憲実は、鎌倉長尾実景と大石重仲らのすすめで鎌倉から上野へ退く。
1454年 享徳3年
鎌倉長尾実景(満景の子)が山内上杉憲忠とともに鎌倉公方足利成氏に誅殺される。