23区

梅照院新井薬師

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西武新宿線の各駅停車で新井薬師駅で下車。駅の西に南北に延びる道を南に歩く。少し歩くと賑やかさが薄まり生活の臭いが濃くなる。道に迷ったかな、そう思ったところで、左に門が見える。

新井薬師の歴史は古く天正14(1686)年に行春が堂宇を建てたことに始まる。本尊は弘法大師空海の手によるとされる薬師如来。これが寺の名前の由来となっている。この新井薬師は子育薬師とか治眼薬師とも呼ばれる。元和3(1617)年に住職玄鏡が夢想丸という妙薬が難病の子供達を救ったことから付いた名という。

また、徳川秀忠の娘である後水尾帝中宮東福門院が寛永6(1629)年に眼病平癒祈願を行ったところ快癒したことから治眼薬師と呼ばれるようになったのだという。その後、延享元(1744)年に運樹が住職となるとさらに寺勢が増す。

しかし、明和元(1764)年に火災に遭い堂宇を焼失。運樹は再建に取り掛かるが本堂の再建を待たずして明和4(1767)にこの世を去る。その運樹の遺志を継いで英俊が長い歳月を掛けて安永8(1779)年に本堂を再建した。本堂再建に際して英俊が建立した運樹や信徒を顕彰する高野山延命院の引導地蔵を模した供養塔が本堂と向かい合って建つ。

こうして苦労の末に再建された本堂も第二次世界大戦の戦火に遭って再び焼失。現在の本堂は戦後の再建による。


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2004.2.7訪問



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Last-modified: 2009-01-16 (金) 22:25:57 (5572d)