中島飛行機略年表 †1917年 †5月:中島知久平が、群馬県尾島町に飛行機研究所を設立。 1918年 †4月:中島飛行機製作所と改称。 5月:神戸財閥川西と提携し、日本飛行機製作所となる。 1919年 †10月:帝国陸軍から複葉機を受注。 11月:神戸財閥を離れ、三井物産と提携。社名を中島飛行機製作所とする。 1920年 †4月:定刻陸海軍から受注。 1921年 †3月:量産体制を敷く。 1922年 †5月:中島商事を設立。 1923年 †4月:中島事務所を設立。 1924年 †3月:井荻に東京工場着工。 5月:フランスのローレン社の発動機の製造権を取得。 待遇改善を求めるストライキ勃発。 1925年 †11月:東京工場完成。 1930年 †2月:中島知久平が衆議院議員に当選。 6月:国産の初の空冷エンジン「寿」を開発。 1931年 †12月:富士合名会社設立。 資本金600万円をもって中島飛行機株式会社となる。 中島知久平が犬養内閣下で商工政務次官に就任。 1933年 †2月:資本金を900万円に増資。 1934年 †9月:資本金を1200万円に増資。 11月:群馬県に太田新工場完成。 1937年 †3月:資本金を2000万円に増資。 12月:「組請負実施ニ関スル作業系統」を制定。 組能率係「作業進行調査書」作成。 1938年 †4月:航空機増産の政府方針に応え、太田製作所の大拡張と陸軍発動機専門工場の武蔵野製作所を建設。 1940年 †4月:陸軍の動きに触発され、海軍も独立拡充命令を発し、小泉製作所(現群馬県大泉町)を建設。 1941年 †2月:太田飛行場開設。 11月:海軍のエンジン製造のため多摩製作所を開設。 12月:三鷹研究所の着工。 1942年 †5月:重要事業場労務管理令により重要事業場に指定。 6月:大宮製作所着工。 8月:半田製作所着工。 9月:伊勢崎第一工場を開設(小泉分工場) 11月:浜松製作所着工 12月:三島製作所着工 1943年 †4月:伊勢崎第二工場着工 10月:武蔵野製作所 1944年 †1月:軍需会社法第1次指定により軍需省管理下となる。 宇都宮製作所操業開始。 1945年 †4月:第一軍需工廠に指定される 8月:軍需省より生産停止命令 富士産業株式会社と改称する 出典:『富士重工業30年史』、『銀翼遥か(太田市)』 †
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