京都府>洛北

大徳寺

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後水尾帝による前後唐破風、左右切妻、屋根桧皮葺の四脚門(重要文化財)

竜宝山大徳寺_臨済宗大徳寺派大本山。京都駅から北大路方面行きのバスに乗って大徳寺に向かう。

途中、四条大宮を経由する。当日は大学の卒業式と重なっていたらしく、バスはとても混みあっていて四条大宮を越える辺りまで座席は空かなかった。大徳寺までこのままだと降りられなくなるのではないかと少し心配したものの気苦労に終わる。

大徳寺前のバス停で降りて少し西に歩くとひっそりとした門が見えてくる。大寺にしては通りに面した門は幾分小振りなものに感じられた。そこから延びる参道を北上する。

鎌倉時代も終わりに近い元応元(1319)年に大燈国師によって創建された。花園帝を始めとする皇族、歴代足利将軍の崇敬を集めたけれども、権力の動きに翻弄された歴史を持つ。五山に加えられたこともあれば、五山はおろか十刹からも除かれたりした。

また、応仁の乱で大きな被害に遭ったり何度か焼失の憂き目に遭うが、再建が繰り返され現在も荘厳な伽藍を誇る。

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[山門(金毛閣)(重要文化財)]応仁の乱の後に連歌師宗長が一階を寄進、千 利休が二階部分を寄進。利休の切腹の原因となったことで知られる.

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[仏殿(重要文化財)]大現国師(第1世)によって創建されたものの、応仁の乱の戦火によって焼失.その後、一休禅師によって再建.それも焼失し江戸時代の寛文5(1665)年に那波常有によって再建.

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[法堂(重要文化財)]正中2(1325)年に宗印禅者により創建.その後、応仁の乱により焼失.時代は下って、江戸時代の寛永13(1636)年に小田原城主稲葉正勝父子により再建.天井には狩野探幽による龍が描かれている。

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2004.3.14訪問



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Last-modified: 2009-12-26 (土) 09:04:56 (5229d)