大可島城址鞆の浦の先端とも言うべき場所の高台に位置する。 1342(康永元)年に金谷経氏が率いる南朝軍が伊予から、足利尊氏が率いる北朝軍が備後から進軍し燧灘で激突。 鎌倉末期から南北朝初め頃に築かれていた大可島城(Taigashima)に陣を布いた南朝軍は守将桑原一族が壊滅した。 その後、室町幕府最後の将軍・足利義昭が織田信長によって京都から追放されて毛利家を頼って鞆の浦に御所を構えると、因島村上亮康が御所警備のために大可島城に入った。 現在、大可島城址は本土側と陸続きになっている。しかし、南北朝時代は島であり、本土側と繋がったのは慶長年間(1600年頃)に鞆城が改修されたことによる。 城址にある円福寺もこの時に建立された。
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