| 藩主 | 官位・通称 | 出自 |
初代 | 相良長毎 Nagatsune | 従五位下 左兵衛佐 | 相良義陽の子。初名は頼房。父が島津義久との争いに敗れ島津家に兄・相良忠房とともに人質に出される。父親は島津義久の命により浅からぬ繋がりのあった阿蘇家攻めを行い敗死。当主の座は重臣・深水長智が島津義久と交渉し相良忠房が相続するも14歳で死去。その跡を相続した。豊臣秀吉の九州征伐の際に降伏し所領を安堵。 慶長の役で加藤清正配下として戦う。 関が原の戦いでは西軍に与し伏見城攻めに参加。しかし、西軍が敗れると家老・犬童頼兄の助言に従い東軍に寝返り、浅井長政の旧臣・垣見氏の一族で豊後国富来城主垣見家純を殺害し所領安堵。 |
2代 | 相良頼寛 Yorihiro | 従五位下 壱岐守 | 相良長毎の子 |
3代 | 相良頼喬 Yoritaka | 従五位下 遠江守 | 相良頼寛の長男 |
4代 | 相良頼福 Yoritomi | 従五位下 志摩守 | 相良頼寛の弟・相良長秀の長男 |
5代 | 相良長興 Nagaoki | 従五位下 近江守 | 相良頼福の長男 |
6代 | 相良長存 Nagaari | 従五位下 遠江守 | 相良頼福の五男 |
7代 | 相良頼峯 Yorimine | 従五位下 志摩守 | 相良長存の長男。1755(宝暦5)年に大水害があり、困窮した藩士への対策に関して、家老・万江長右衛門らの大衆議派と門葉ら小衆議派が対立。頼峯が養子とした頼央は小衆議派であった。 しかし、頼央派による頼峯暗殺計画が発覚。頼峯は小衆議派の排斥を図るも江戸参府途上で発病し江戸にて死去。頼央が家督を相続。 |
8代 | 相良頼央 Yorihisa | 従五位下 遠江守 | 相良頼峯の甥、あるいは弟。頼峯の死の1年後帰国したが薩摩瀬屋敷観欄亭にて急死。一説に狙撃され死亡したとも(竹鉄砲事件)。 相良家は事実上断絶した。 |
(9代) | 相良晃長 Akinaga | 従五位下 近江守 | 日向高鍋藩主秋月種美の四男。兄は出羽米沢藩主・上杉鷹山(治憲)。11歳で死去。 |
9代 | 相良頼完 Yorisada | - | 鷲尾大納言隆熙の子。鷲尾家と相良家は縁戚関係。 無嗣断絶を恐れ相良晃長と同一人物として擁立された。19歳で死去。相良藩重臣は、幕府に日向秋月藩主・秋月種武の弟・種穀の擁立を願い出る。しかし、秋月種穀の年齢が頼完より上であったために却下。老中松平武元(陸奥国棚倉藩主;越智松平家)が実弟遠山友明の次男・友充を推し、家臣団も受諾。 |
10代 | 相良福将 Tomomichi | 従五位下 越前守 | 美濃苗木藩主遠山友明の三男。初名友充。一度も帰国することなく20歳で死去。 |
11代 | 相良長寛 Nagahiro | 従五位下 壱岐守 | 備前岡山藩主池田宗政の二男 |
12代 | 相良頼徳 Yorinori | 従五位下 志摩守 | 相良長寛の二男。当初は相良長寛の嫡子・相良義休が病弱だったために庶長兄の頼徳が擁立された。 |
13代 | 相良頼之 Yoriyuki | 従五位下 壱岐守 | 相良長徳の長男 |
14代 | 相良長福 Nagatomi | 従五位下 遠江守 | 相良長之の長男 |
15代 | 相良頼基 Yorimoto | 従五位下 遠江守 | 相良長之の四男 |