安城松平

松平広忠

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岡崎にある大樹寺にある徳川家康の父親の松平広忠の墓。松平広忠は安城松平氏7代目の清康の子。

清康が三河国統一を目前として家臣に殺される(守山崩れ)と、その後の桜井松平信定による西条吉良家・織田家を後ろ盾とする岡崎城乗っ取りによって、広忠は伊勢へと落ち延びていく。

広忠を擁護したのは、安城松平氏と同じく足利義晴派の東条吉良持広と今川義元。伊勢へと逃げたのは、東条吉良持広の所領が伊勢にもあったためという。

東条吉良持広の死後、東条吉良家は織田家と通じたため、駿河の今川義元を頼った。今川義元の支援によって岡崎城に戻るも、24歳の若さで暗殺された。



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Last-modified: 2008-10-03 (金) 12:00:42 (5676d)