出雲国山代郷正倉跡真名井神社の前の道を少し進むと、かつて奈良時代に正倉つまり倉のあったと言われる場所がある。<br>この付近には、昔、26棟の役所などの建築物があったことが発掘で判明している。言い伝えで豪族が穀物を焼いたという話が伝わっているという。その伝説を裏付けるかのように、倉庫には火災にあった痕跡があるとのこと。 伝説は意味もなく伝わるものではなく、やはり何らかの歴史的事実を伝えているものといえる。また、天平5(733)年の「出雲国風土記」には意宇郡郡家から西北3里120歩(約1.82km)の山代郷に正倉があったとの記述があり、この一帯がその正倉だと考えられている。 その通りに、周囲の溝の遺構から考えると南北1.5町(162m)から2町(216m)、東西1町(108m)と推定され、中央部に管理棟、両側に倉庫群の遺構が発見されている。 松江市大庭町字内屋敷<br>2003年8月29日(金)撮影
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