三浦氏三浦氏が歴史に名を現すのは1986年の後三年の役で源義家の配下として戦った三浦平太郎為継が最初とされている。 この戦いで三浦平太郎為継は同じく坂東八平氏の鎌倉権五郎景政の目に突き刺さった矢を抜いたエピソードで知られている。 三浦氏は平氏を称していたが、三浦半島の古代豪族大田部氏、御浦氏の血を引くのではないかという説もある。これらの古代豪族に下向してきた平氏の血が混ざって平氏を僭称したという可能性も強ち否定は出来ない。 しかし、三浦氏が歴史上に登場して以来、一貫して平氏を称していたという事もまた事実であり。この事実を軽く見てはならない。 三浦為継の孫の義明は三浦大介として知られ、三浦半島に勢力を広く扶植した。 義明の娘は下向してきた源義朝の側室となっていた他、義朝の子の義平が叔父の義賢を大蔵館に破った際には義平を支援したという。 また、同じく義朝の子の頼朝が挙兵した際には一族を挙げて挙兵に参加している。 年譜
系譜参考
|