文政〜開港・明治維新 1818年〜1868年 †1825年
1830年
1831年
1840年
1841年
1842年
1847年
1851年
享保〜文政期 1716年〜1817年 †大開発時代 17世紀 †1804年中埜又左衛門が粕酢(かすず)を考案。分家によって「ミツカン」創業。4代目は常滑で酒造業を営む盛田家から迎えた。盛田家はソニーの創業家。 1707年伊勢神宮参拝の土産物「赤福餅(もち)」の製造元、赤福が創業。 1615年徳川家康により近江商人4家が選ばれ日本橋に招致される。この中に西川産業もあった。西川は、永年勤続の優秀な奉公人にのれん分けし、独立させた別家制度を敷き、本家の当主を監督させた。 1598(慶長3)年綿半(現綿半ホールディングス)が、長野県飯田市で農家に綿を栽培させ天竜川を下って出荷する「綿商い」として創業。 1566(永禄9)年初代・西川仁右衛門が近江八幡にて蚊帳の製造販売で創業。後、西川甚五郎商店として近江八幡の御三家と称される大商人となる。 1560(永禄3)年ナベヤ創業。千利休の茶釜を鋳造した他、御鋳物師として朝廷に灯篭を献上。代々岡本太右衛門家が経営し、分家は独立経営で現在まで続く。 1555年与三右衛門が奈良時代以来の家業の宮大工をやめ、京都・室町で法衣織物業「千切屋」を創業。これが、現在の呉服の老舗、千總(ちそう)の前身。もっとも、与三右衛門家本家は江戸時代に途絶え、治兵衛、總左衛門、吉右衛門の三分家が「千治(ちじ)」「千總(ちそう)」「千吉(ちきち)」として引き継いだ。 その他 †[江戸城]
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