ルーツ

田原戸田家(忠次系)

当主官位・通称出自
初代戸田光忠-兄で戸田宗家の康光は今川家を裏切り織田家に通じ、今川義元に人質として送られる途中の松平竹千代(徳川家康)を織田信秀に届けた。これに怒った今川義元は田原城を攻め、康光と嫡子・尭光は討死。
康光の次男の仁連木城主戸田宜光は今川家に付き事実上の戸田宗家となる。また、康光の弟の光忠は岡崎の松平家を頼った。
2代戸田忠次 Tadatsugu-土呂、針崎、佐崎の一向一揆(1563[永禄6]年)の鎮圧で功を挙げ渥美郡大津2,300石を得る。小田原征伐時は江戸城、葛西城を攻める。徳川家康の関東移封後は伊豆下田城5,000石を領す。

三河田原藩 1万石

藩主官位・通称出自
初代戸田尊次 Takatsugu従五位下 土佐守戸田忠次の長男。関ヶ原の戦いで丸岡城を攻めた功により田原1万石を得る。
2代戸田忠能 Tadayoshi従五位下 因幡守戸田尊次の長男。
3代戸田忠治(忠昌) Tadaharu従四位下 山城守 侍従戸田尊次の次男・戸田忠継の長男。
戸田忠能に嗣子が居なかったため、弟の子である忠治が家督を相続。

肥後天草藩 2万石

藩主官位・通称出自
初代戸田忠治(忠昌) Tadaharu従四位下 山城守 侍従戸田尊次の次男・戸田忠継の長男

摂津河内のうち 3万石

藩主官位・通称出自
初代戸田忠治(忠昌) Tadaharu従四位下 山城守 侍従戸田尊次の次男・戸田忠継の長男

武蔵岩槻藩 5万1千石

藩主官位・通称出自
初代戸田忠治(忠昌) Tadaharu従四位下 山城守 侍従戸田尊次の次男・戸田忠継の長男

下総佐倉藩 6万1千石→7万1千石

藩主官位・通称出自
初代戸田忠治(忠昌) Tadaharu従四位下 山城守 侍従戸田尊次の次男・戸田忠継の長男。
大老堀田正俊が従兄弟の若年寄稲葉正休に殺害された事件で、大久保忠朝、阿部正武とともに稲葉正休を斬り殺す(1684[貞享元]年)。

長男・喬知は妻の実家・秋元家の養子となった(老中秋元喬知)。
2代戸田忠真 Tadazane従四位下 山城守 侍従戸田忠昌の二男

越後高田藩 6万8千石

藩主官位・通称出自
初代戸田忠真 Tadazane従四位下 山城守 侍従戸田忠昌の二男

下野宇都宮藩 6万7千石→7万7千石

藩主官位・通称出自
初代戸田忠真 Tadazane従四位下 山城守 侍従戸田忠昌の二男。
浅野長矩が高家・吉良義央に刃傷に及んだ際、御馳走役の代役を勤めた。
2代戸田忠余 Tadami従五位下 日向守戸田忠真弟の分知7千石戸田土佐守忠章の長男 。
忠真の六男で養子の忠久が早世のため家督は二男・忠盈に相続させる。
3代戸田忠盈 Tadamitsu従五位下 日向守戸田忠余の二男

肥前島原藩 7万7千石

藩主官位・通称出自
初代戸田忠盈 Tadamitsu従五位下 日向守戸田忠余の二男
2代戸田忠寛 Tadatoh従五位下 壱岐守戸田忠余の四男

下野宇都宮藩 7万7千石

藩主官位・通称出自
初代戸田忠寛 Tadatoh従五位下 壱岐守戸田忠余の四男
2代戸田忠翰 Tadanaka従五位下 能登守戸田忠寛長男
3代戸田忠延 Tadanobu従五位下 日向守戸田忠翰三男
4代戸田忠温 Tadaharu従四位下 山城守 侍従戸田忠翰五男
5代戸田忠明 Tadaaki従五位下 因幡守戸田忠温三男
6代戸田忠恕 Tadayuki従五位下 越前守戸田忠温六男
7代戸田忠友 Tadatomo従五位下 土佐守戸田土佐守家戸田忠偲長男


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Last-modified: 2008-11-16 (日) 11:45:28 (5632d)